極真空手による青少年教育「礼節・心を鍛える」ことを重視します。

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武道による教育とは

「未来へのわくわく感」が才能を開く

すくすく通信通巻28号掲載 2018年11月発刊

「過去にとらわれない」在りようを体得

道場での稽古目標の一つに「過去にとらわれない」という項目があります。
「なぜ人の悩みはつきないのか?」といえば、それは過去にとらわれるからです。

本来、時間をさかのぼることはできません。

過去にとらわれるということは、実際に過去は存在しませんから、「過去の記憶」にとらわれるということになります。
「過去の記憶」にとらわれると、心が疲弊することはもちろんですが、運動能力にも支障をきたします。
過去の体験での「やり方」「方法」などの形は自分で自分を縛ってしまい、臨機応変な動作を鈍くしてしまいます。
武道のみならず、スポーツや日常生活は似て非なることの積み重ねですから、過去に覚えたパターンは通用しません。
常に未来感覚を持って「どうなるんだろう」「やってみないとわからない」といった未来感が大切です。

未知なる探検が感覚を開く

仮に洞窟を探検するとしましょう?
初めて行く未知なる洞窟であれば「わくわく感」もさることながら「何が起きるかわからない」という思いが体全体の感覚を呼び覚まし、わずかな音や空気の流れを感知することでしょう。
この状態が「感覚が開いた」状態で誰でも感覚の天才状態です。
このときに、よくテレビでやっていますが、ヴァイオリンの「ストラディヴァリウス」と「練習用」との聞き分けも100%可能でしょう。
ちなみに道場でもこの聞き分けの稽古をしています。「武道でなぜ?」と思われるかもしれませんが、武道も音楽も感覚を開くという意味では同じです。
全て基本的なことは共通ですよね。
感覚が開いている状態の時の動きは尋常ではありません。まさに天才的です。

「日常のあたりまえ」が感覚を閉ざす

何度も何度も言ったことのある洞窟を探検するとしましょう。
もはや探検とは呼べないかもしれません。
へたをするとノルマ?
もうどこに何があってどうなっているのかが「記憶」にありますから道筋も全て「記憶」を探り、実際の道はほとんど見ていません。

まさに感覚の閉じた状態で、もし仮に違っているところがあってもほとんど気づきません。
いつもの道なのに「記憶」が邪魔をしていて、むしろ転びやすい、ぶつかりやすい状態といえます。スポーツでも二度同じシチュエーションは在りませんよね。
野球のピッチャーの球は無限の軌道を無限に変化す
る速度でやってきます。サッカーでもテニスでも同じ軌道の球はありえません。
武道でも、同じ場面は2 度とありません。
たとえ同じ相手でも全く同じことは起きません。
にも関わらず、もしパターンで動作を記憶しその記憶に基づいて動くことが主であったら、たちまちやられてしまいます。
記憶をなぞれば最高に鈍い状態ですので、相手の変化に対応できないのです。
よくある妻の変化(髪型など)に夫が気づかないなどもその一例でしょう。

「未来へのわくわく感」が才能を開く

諸行無常の言葉にあるように実際に全く同じ未来はあり得ないのですね。
ましてや人間関係は千変万化しますから、過去の記憶を探っていたらアウトです。

過去の記憶を主とせず、参考程度に時折活用するにとどめ、日頃は不確定な未来にわくわくして過ごす。

日常を同じものの繰り返しとはとらえず、実際変化しているわけですから、その変化をとらえられる開いた感覚。
「どうなるかみてみたい」という不確定な未来へのわくわく感が子供の成長に大切と思っています。
この本来の在りように導ける稽古こそ大切にしていきたいと願っています。

この記事の執筆者
杉原 政則
杉原 政則国際空手道連盟極真会館総本部手塚グループ副会長
極真空手東京本部本部長 極真空手五段
1963年生まれ、10代の頃より極真空手を始め、総合格闘技、護身術、合気道、柔術の門もたたき修行を重ねる。空手を手段とし青少年教育、人格育成を実現するために指導方法を模索、現在までに延べ1000名をこえる青少年を指導する。
家庭教師や塾講師など学習面での教育にも携わった経験を持ち子供向け学習道場も主催。知能教育主体ではなく知性教育を重視する。大人向けの「健やか教室」「子育て教室」も開催し、武道を通じての総合的な人間教育を志す。

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