極真空手による青少年教育「礼節・心を鍛える」ことを重視します。

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武道による教育とは

会話と対話の違いを学ぶ

すくすく通信通巻3号掲載 2013年2月発刊

会話と対話の違い

武道が「対話」を重んじるため、よく質問されますので武道でいうところの会話対話の違いについて説明したいと思います。

様々な解釈もあるでしょうが、道場では「意味」の共有の違いと教えています。単に言葉のやりとりをする「会話」に比較して、互いを尊重し言葉の意味を共有することで「対話」となります。
一見同じ日本語を使っていても意味は人それぞれのため、コミュニケーションしているわりにはすれ違うことはよくあります。それは互いのやりとりが会話にとどまり意味が共有されていない場合が多いのです。

とくに子供の成長期にこの対話が欠かせません。会話すらないのは論外ですが、家族も比較的円満でよく話をしているのに子供の精神的成長が十分になされないケースを見受けます。その場合、親子での本質的な対話がなされていない可能性が高いと思われます。
「宿題やったの」「食事の時間よ」「早く寝なさい」などの生活的な会話をいくら交わしても成長に必要な対話にはなりません。「場」の共有と「意味」の共有は違います。

道場では子供たちに相手の話を片耳で聞かず、必ず
両耳で聞くように教えています。相手の言葉自体を聞くのではなく言葉の意味を受け止める姿勢が大切なた
めです。

対話のできる人は人間関係がすぐれているにとどま
らず、不思議に思われるでしょうが武術においてもすぐれた技を駆使できます。

武術での疑似的検証

武術は「見えない心」をその技を通じて「見える身体」で検証できるすぐれた点をもっています。したがいまして、会話と対話の違いを擬似的に武術で検証することができます。

「会話」は相手との意味を共有しませんから、相手に対して” 自分本位に一方的に技をかけるさま” に置き換えることができます。 「対話」は意味を共有しますから、一方的に技をかけるのではなく” 相手と繋がり同調するさま” に置き換えられます。

自分本位で一方的な技(会話)

特に、初心者など未熟な人の場合、相手の事を考えずに自分本意に技を力一杯繰り出します。これがまさに互いの意味を共有しない「会話」の状態といえます。

一生懸命汗だくになりながら行っても全く技は決ま
りません。相手を倒そうとしても倒せず、投げようとしても投げられず、息だけが荒くなります。意味を共有しない会話では相手に対して本人の思惑とは裏腹に、ほとんど影響していないことがわかります。

相手との一体化(対話)

武術の極意は相手との一体化(同調)にあります。相手をどうこうしようという思惑は捨て、相手と接触したら、きらずに繋がっていきます。そして接触した部分から相手の中心軸(身体)と一体化します。まさに相手の本当に言いたい中心的意味(心)を捉えて一体化(同調)する「対話」と同じ状態です。

武道経験の無い方はイメージしにくいかもしれませ
んが、一体化を通して相手は簡単に無力化され封じられてしまいます。論より証拠、簡単な体験ができますので関心ある方は声をかけて下さい。力ではなく一体化を通じてこちらの技が相手に及ぶことを体感することができます。


すなわち対話を通じて相手と一体化することによ
り、はじめてこちらの言葉が相手におよぶことがわかります。対話をしないかぎり真のコミュニケーション

にはならず発展できません。

子供達には互いを尊重し節度ある対話のできる人に
成長してほしいと願っています。その為にも努めて子供との多くの対話がなされる事を願ってやみません。

この記事の執筆者
杉原 政則
杉原 政則国際空手道連盟極真会館総本部手塚グループ副会長
極真空手東京本部本部長 極真空手五段
1963年生まれ、10代の頃より極真空手を始め、総合格闘技、護身術、合気道、柔術の門もたたき修行を重ねる。空手を手段とし青少年教育、人格育成を実現するために指導方法を模索、現在までに延べ1000名をこえる青少年を指導する。
家庭教師や塾講師など学習面での教育にも携わった経験を持ち子供向け学習道場も主催。知能教育主体ではなく知性教育を重視する。大人向けの「健やか教室」「子育て教室」も開催し、武道を通じての総合的な人間教育を志す。

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