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森義道会長語録

極真師範のお墨付き

2023年2月14日
極真師範のお墨付き
2001年、手塚会長から宮城県本部の本部長として認定を受けたことが、公の生涯の開始になりました。
三十四歳での17回全日本オープントーナメント終了後、選手を引退して、結婚生活に突入しました。
生活の設計と社会貢献を両立させるという事で、拠点を関西において活動をしたのでした。
当然、青年教育には極真の稽古という信念がありましたので、大阪府立体育館の地下の運動場を借りて、指導を始めたのです。
その時は、関西本部の所属でした。
社会的ステータスも必要という事で、大学院経済学のダブルマスターを目指して、税理士として全科目免除の道を模索して実践し始めていました。
目指したのは、国家資格というお墨付きでした。私的生活を税理士として、公の生涯として極真師範の二刀流という事で出発というのが、現役引退後の方向でした。
極真の稽古は続けていましたが、税理士のお墨付きという事に関しては、時間がかかるという自覚があったのです。
準備を重ねて、税理士の目途が付きそうなときに、手塚会長から師範のお墨付きを与えられたのです。
願ってもない事でしたので、手塚会長からの承認を得て、四十八歳の時に師範として出発したのでした。
その時は無我夢中という事で、極真空手に集中する立場となったのでした。
さて、すぐに世界巡回という事で、ヨーロッパ、ロシア、アメリカと指導が始まりました。
手塚会長に主事することは、自発的な行為という事で、今まで極真で訓練されたこと最大限に活用するようになったのです。
会長は私の能力を最大に活用して下さったという事でした。
すべて正しい事を実行するという事をモットーに前進したのです。
手塚会長とは電話で何時間も話して、今後の方向性を決定するという「電話の友」という事でした。
電話代は半端ではなかったですが、一体となってこのグループの道を切り開いたのでした。
常に交流するものですから、会長から意見の公認を直ぐ得られて、活動は大きく発展したのでした。
結局、二人三脚という形で、日本と世界に基盤を作ることになったのです。
私自身、副会長としての公の宣言にもなったのです。
結局、人生の準備が晩年に花開くという経緯を通過したのです。
公の生涯の準備に五十年かかったという計算になります。
人生の開運は、手塚会長と一体となって、グループの伝統を引き継ぎ、極真を進めることになったと結論づけることができるのです。
そのお蔭をもって、責任者としての自己認識を与えてもらっているのです。
その時から、公の生涯の意識が高まったのでした。

この記事の執筆者
森義道
森義道国際空手道連盟極真会館総本部手塚グループ会長
法務省仙台保護観察所保護司原町地区理事/宮城県薬物乱用防止指導員/仙台市宮城野区消防団本部団部長/財団法人 青少年交流振興協会理事/社会福祉協議会原町地区副会長/仙台市宮城野中学校評議員/学位 東北学院大学院前期博士課程終了/段位 国際空手道連盟 極真会館 八段

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