極真空手による青少年教育「礼節・心を鍛える」ことを重視します。

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目付けの稽古:何事にも一切心をとどめない

すくすく通信通巻8号掲載 2013年11月発刊

稽古内容とその割合

空手道場という名前からして当然、空手の稽古中心と思われると思います。
イメージ的には、正拳突きや蹴り、空手の型及び筋力運動が思い浮かばれるかもしれません。
杉原道場では、上記の様な稽古が中心ではありません。

割合で言えば10%位です。人を殴ったり投げたりする技術はプロの格闘家にでもならないかぎりは必要はないと考えるからです。
むしろ日常においては使ってはいけない技術です。
道場ではあくまでも人格を向上するための一つの過程としてのみ稽古しています。

心の成長(黙想、道場訓など)、身体操作術(体の仕組みと効率よい使い方など)、護身術(礼節、会話術、護身武術など)の3 つをそれぞれ30%、計90%を稽古にあてています。
人生において必ず必要となるものに、できるかぎり焦点をあてて稽古するようにしています。

目付けの稽古(中心視野と周辺視野)

今回は身体操作術のなかで目の使い方について書きたいと思います。
目に使い方があるのかと疑問を持たれる方もいらっしゃると思いますが、本人の目付け意識の違いで大きいな差が生じます。
よく「目の付け所がいい」とか「どこに目を付けているんだ」と日常何気なく使っていますが、「目付け」といいますのは、武家の役職の話ではなく、相手や物事を見る時の目の付けどころです。
「目付け」には「中心視野」と「周辺視野」があり、古武術では重んじて稽古しましたし、最新のスポーツでも注目され始めました。
「中心視野」とは一点を見つめる目の使い方です。
見たいところを狭い範囲でみますので、一見「集中」しているように見えますが、心の面からみれば、これはとらわれている状態で、疲れやすい目の使い方です。
子供がゲームにはまっている状態と同じで、目は極度に疲労しますし、視野が狭く周りが見えていません。

本人は集中しているつもりでも、周りが見えていませんから他人からみればとらわれている(はまっている)様にしか見えません。
結局、自分中心の行動しかとれませんので人の迷惑になりやすい幼い状態といえます。

「中心視野」は周りが見えていない故にだまされやすく、スポーツでは相手のフェイントに引っかかりやすいなど翻弄されやすくなります。
「周辺視野」は、見たい点を捉えつつ全体が見えている状態を指します。武術ではこの状態を「見る」のではなく「観る」と言います。
常に全体が観えているので物事を広く認識できますし、目も疲れにくく平静と保ちやすくなります。
このことを「目端が利く」ともいいます。焦点が合っているところにとらわれることなく、目端が意識でき視界が広い状態です。

優れたサッカー選手が絶妙のパスを出せるのは、足下のボールを捉えつつフィールド全体も同時に見えている「周辺視野」の状態だからです。
一流選手との差はこの「目付け」によるところが大きいといえます。道場では「全体に集中せよ」と教えています。

最近では中心視野と周辺視野を測定する機械をつかいトレーニングしているアスリートもいます。

心の周辺視野

稽古で大切なことは「体の在りよう」を通じて「心の在りよう」を探ることです。目(体)で大切な「在りよう」が「周辺視野」であるならば、「心の在りよう」も同様に「周辺視野」であることがわかります。
思い悩むことは、何かにとらわれている「中心視野」の状態でそこから動けなくなることです。
稽古を通じて「何事にも一切心をとどめない」心の「目付け」を体得する事が大切です。

この記事の執筆者
杉原 政則
杉原 政則国際空手道連盟極真会館総本部手塚グループ副会長
極真空手東京本部本部長 極真空手五段
1963年生まれ、10代の頃より極真空手を始め、総合格闘技、護身術、合気道、柔術の門もたたき修行を重ねる。空手を手段とし青少年教育、人格育成を実現するために指導方法を模索、現在までに延べ1000名をこえる青少年を指導する。
家庭教師や塾講師など学習面での教育にも携わった経験を持ち子供向け学習道場も主催。知能教育主体ではなく知性教育を重視する。大人向けの「健やか教室」「子育て教室」も開催し、武道を通じての総合的な人間教育を志す。

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