2010年7月7日(本部長通信991)

極真空手道場(10)

稽古の意義

公的立場に立つ

稽古を積み上げて、大会に出場した時、入賞すれば何ら問題も感じないのですが、敗北し、失意に陥った時の対処法な
のです。その時の心境は、自分を省み、様々な不足を発見するようになるのです。それも、全日本のような大きな大会であ
ればあるほど、この傾向が強くなり、不足を思い、自分に失望するようになるのです。
もう既に、敗北した自分は、自分の立場で自分を取り扱おうとするのです。公的に全日本に本部の代表として出場した
ことなど、すでに、眼中に無いのです。本部での代表であるから、本部のものであるという精神がなくなるのです。本部の
事情と本部の期待を背負って戦ったという、自らを取り扱うことができなくなっているのです。
本部の応援してくれている道場生は、頑張ったことを評価してくれ、次に必ずや果たすように託してくれていることを
、忘れてしまっているのです。本部の代表であるということを、もう一度見つめ直さなければならないのです。
また、自分が大会で敗北したことを直視し、その葛藤にさいなまされ、自らの嫌悪感に落ち込むようになるのです。後
悔と呵責は、自分の心を捉え、どこまでも暗闇の 中へと引きずっていくのです。
自らの全日本で敗北したことを、直視し悔いることは、貴重なことではありますが、あまりにも自分を責め過ぎると、
「自分は惨めである」ということを自らの選択する結果になるのです。
本部の応援団は、後悔している自分の姿を励まし、対応しようとしているにも関わらず、自分は敗北したことだけを見
つめ、自分を嫌悪し、自分自身んを勝手に取り扱っていくのです。
結果として、自分を裁き、人をも裁くのです。自分自身が必要以上に呵責に再悩まされると、暗くなってしまうのです
。それを克服するには、道場の代表であるという立場に立って自らを取り扱う基準を作らなければならないのです。