2010年7月6日(本部長通信990)

極真空手道場(9)

稽古の意義

不必要な煩いからの解放

稽古に集中すれば、変な煩いからの解放がもたらされるべきです。ところで、稽古をして歩むべき道は、到達する目標
ではあるが、今すぐ完成できるのではないのです。成長の過程を経て、徐々に近づいていくべき内容をなのです。
稽古は厳しく厳格なのです。それゆえ、真剣なことは重要なことであり、なくてはならないことなのです。しかし、こ
のことで、結果ばかりを気にしてしまうと重荷になってしまうのです。大会にでて結果がでなくて悩むこと道場生を見てき
ました。
稽古を実戦し続けていくと、道場生に数々の迷路が待ち構えているのです。自分の稽古の歩みを振り返り、自分を嘆き
、自分を責めるようになってしまう場合があるのです。さらに、悪いことに、稽古の基準を中心に人を裁いてしまう場合が
あるのです。
師範が自分で一番戒めているのは、この内容です。つまり、稽古の基準で物事を推し測ろうとすると、人を脅迫して指
導する傾向がでてくるのです。そのことは極真の伝統がですから、人は従うのです。しかし、道場生の魂は、生きないので
す。ただ押忍として従ってくるだけなのです。
これは、どのようなことかというならば、真剣に稽古をすればするほど、暗くなるのです。まさに、迷路なのです。道
場の稽古の方針が重荷になるのです。稽古の目標は高く、しかし、実体はそのレベルにかなっていないのです。一生懸命歩
んでも、目標に到達できない場合がほとんどなのです。一生懸命稽古のしたのに、精神的に重苦しいく暗くなる場合が多い
のです。
ここで自分を責めようとすることを、「感謝」に転換させることが大切なのです。稽古に真剣であればあるほど、自分
に厳しくなり落ち込むのですが、ここて「感謝」を念頭におきながら推し進めていくことが、必要になってくるのです。