2010年7月5日(本部長通信989)

極真空手道場(8)

稽古の意義

動機の造成

稽古は、動機をより強く形成する時間です。動機なくして、正義感や忠誠心は、しっかり持つことができないのです。
また、動機が曖昧であると、時間が経つに連れて疲れてくるし、現実の事情に影響にも左右しやすく、支配されやすいので
す。
このような状態で歩む人は、時間が経過すると苦労した事が人に対しての恨みとなったり、あることをきっかけに「騙
された」となりやすいのです。しっかりとした、動機を作らなければ、やがては疲れ、自分にも失望し、良心の力を失う結
果になりやすいのです。
人生において、師範は道場生に何度も何度も動機を作ってあげなければならないのです。道場生がやるべき事は、実践
して日々を送ることなのです。動機を重要視し保持することは、道場生に関わることなのです。どんな素晴らしい指導を受
けても、道場生に動機がなければ、その意味はなく、稽古にならないのです。
稽古は、師範の深い今までの極真空手の伝統があり、そこに、道場生の稽古に向かう深い動機がいなければ、成長はあ
り得ないのです。そして、稽古で受けた内容を大切にし、稽古を実戦し続けていく事が必要であり、動機を成長させ、より
深めていかなければならないのです。
動機は、稽古の熱心さと決意で構成されるのです。そして、それは、深い極真空手道に対する理解がその基盤に必要な
のです。その目標は、大山総裁のごとくということになるのです。そこで、大山総裁に如何に近づく事ができるかが課題と
なるのです。何度もいうようですが、動機をふかめるために、実際の稽古と勝利への執念が、交互に必要になってくるので
す。