2010年7月2日(本部長通信986)

極真空手道場(5)

稽古の意義

稽古で出会う自分は、たえず成長のするのです。しかし、いつも普遍的とは限らないのです。稽古は、実戦において、
具体的目標を達成するために、日々頑張りますが、そこで、出会う自分は、生きた実感的経験をするのであり、貴重なので
す。
ところが、反面、独りよがりがあると、偏ってしまうという欠点もあるのです。確かに、実戦で追及する稽古は、生き
生きしたものでありますが、その時に形成される自己は部分的で特殊的になりがちなのです。また、習慣的にもなりがちに
なります。
それゆえ、それを修正し、正すのが、審査会ということになります。たえず、自分が積み上げてきた稽古が正しいのか
どうかの確認なのです。稽古をし、審査を受けるということは、自己を成長のさせることであり、自分が変わることであり
、成長の中で、多くを吸収していくことになるのです。
稽古は、当然白帯から始まります。その時の、先輩達を見ると素晴らしくも感じるのですが、そこから階段を上るよう
に、先輩達に近づいていくのです。稽古で、自分の成長に感謝しつつも、発展していく自己を確認し、更なる努力を重ねて
いくのです。
ここで、注意を払うことは、その時の稽古が自己中心的になってはいけないということなのです。自分勝手な解釈は戒
めなければならないのです。このことは、修業年数が多ければ多いほど、自分の主観で解釈はしてしまうのです。年数が増
えれば触れるほど、師範に指導を仰ぐべきなのです。
したがって、稽古によって、技術面と精神面を成長の中で、実践して段階をあげていくのです。これは、あくまでも、
師範の意図をしっかり受け止めていく立場を忘れてはいけないのです。それでこそ、発展の方向生がはっきり見えれくるの
であり、受けた恩恵を確かなものにすることができるのです。