2010年7月1日(本部長通信985)

極真空手道場(4)

稽古の意義

自分との出会い
基本稽古は、技術面を 繰り返し実戦することによって、空手のイロハを徹底的に叩き込むのです。それに対して、組手
の稽古は、臨機応変を旨とした、新しい自分の姿に出会う場所なのです。
さて、基本稽古のからの話ですが、本来、実戦か全てに通じていくのが空手でありますので、基本稽古は、組手と同一
に取り扱わなければならないのですが、現実の指導を考えると、動きが制約される基本稽古ですと、組手と違和感を 感じ
るのです。
本来、組手が上手になるためには、基本稽古を積み重ねて、成長を待たなければならないのが原則なのです。指導内容
としては、しっかりとした基本稽古をして、技術面を高めていき、先に推し進めていかなければならないのです。
ところが、大会中心主張の道場は、基本稽古をおろそかにして、組手を強調しがちな傾向があるのです。そうすると、
稽古が大会中心主張ですから、道場での精神教育と違和感を生じてくるのです。結果として道場本来の持つ教育が おろそ
かになってしまうのです。
従って、私達の目指すべき空手道は、基本稽古を通じて、空手道の意味を深め、組手や大会だけで、得られない先人の
英知に出会うのです。つまり、基本稽古の技術面を 、知能によってしっかり把握し、組手や大会が一時的なものにならな
いようにするのです。
それゆえに、基本から始まる稽古を、「生涯教育」と位置づけます。組手を基本稽古の延長上に置き、本来の組手の実
戦を達成させていくものとします。最終的には組手が、新しい自己との出会いをさせるのです。この様な考えが、心の満足
を得させ、達成感あふれることとするのです。