2010年6月30日(本部長通信984)

極真空手道場(3)

稽古の意義

2私と極真

稽古は、礼に始まり、礼に終わるのです。公式的に新たな自分との出会いをするのです。この道場で、自らを 成長させるのです。それには、稽古を生命視し、道場で厳粛に稽古していくという心構えが必要なのです。
この道場で稽古をするということは、極真の心をしっかりと学んでいくということを認識することであり、命溢れる実感で自分を成長させることなのです。今までの、先輩達もそのような気持ちで、地上最強の空手を証明しようとしたのでした。
しかしながら、本当に自分が習っている極真空手が、本当に強いのかどうか明確にわからなかったのです。ただ、大山総裁が桁違いに強いということだけでした。そこで、稽古をする中で、困難な状況を克服することに挑戦したのでした。
さらに、技術的なものも習得し、自信を持って、証明して行ったのでした。考えてみると、根のない稽古は、平穏な環境の中では、たいそうよさそうに見えるのですが、しかし、全日本のような大会に出てみると、お互い切磋琢磨の 実体をの衝突ですので、生命の危機が迫り来るのです。
困難に直面する苦痛の 中では、自分自身の存在と、伝統のない稽古ですと、勝利への確信が持てなくなってくるのです。それをカバーしてくれるのが、極真の伝統に根ざした確固たる稽古なのです。師範も、全日本大会で、生命の 危機と苦痛の中に晒されたものです。
その中でも、劇的な戦いをなしてこられたのは、伝統ある極真の稽古をして来たからなのです。伝統が根付いているゆえに、勝利への確信がを持つことができるのです。稽古で経験することは、伝統ある稽古を認識することであり、知識でも心でも、この事を認識する事なのです。
この両方の認識を如何に高めていくかという事が課題なのです。知的にだけでは身が入らないし、気持ちだけ焦っては、継続もおぼつかないのです。その意味では、極真の伝統を継承した宮城県本部の稽古に参加して、しっかりとした自分に出会う事が必要になってくるのです。