2010年6月29日(本部長通信983)

極真空手道場(2)

稽古の意義

1稽古の本質

極真空手道場は、池袋の本部道場に原点をおいているのです。今から、四十年も前の時から、大山総裁が亡くなられた1994年が、稽古の本質なのです。原点をたえす此処に置くのです。そこでのあらゆるドラマが様々な形で私たちに伝達されているのです。そこで、私も大山総裁に出会ったのであり、輝くように私たちの目の前に立っていてくださったのです。
極真会館の伝統は、此処での習慣を守っているのです。それゆえ、極真会館にとっては稽古は特別な意味を持つのです。此処での稽古内容を頑なに守り続けるている事になるのです。これが、全世界の極真の歴史的伝統の原点となるのです。
極真会館池袋本部道場は、弟子達に大山総裁が直接指導したところであり、指導受けた、内容が私たちの骨身にしみている事になるのであります。総裁が自ら、稽古を守り続ける続けてこられたのであり、稽古の本質なのです。
それゆえに、宮城県本部で稽古してもその中心に大山総裁は生きているのです。稽古をする上で、数十年続いている稽古を今も、この状態であると確信でするのです。その恩恵により、私達は黒帯を目指すことができるのであり、厳しい訓練も、総裁と繋がれているが故に実践することができるのです。
この恩恵ゆえに、私達は、強い選手としても育つ事ができたのであり、黒帯という資格も与えていただく事もできるのです。当然、今もその稽古を実践している事はいうまでも無いのです。
さらに、何故極真会館の稽古にこだわるのかというならば、清くて傷のない立場の稽古にしたいためなのです。稽古のやり方だけを盗んで、勝手に多流派を名乗っている人達も良くで出合います。別に特別な思いはしませんが、しかし、伝統の原点は私達であると胸をはるのです。
稽古の目的は、大山総裁の伝統のの継承であり、それは、全世界の極真会館の人達に対する礼儀なのです。ゆえに、稽古は、大山総裁のへの接近であるのです。