2010年6月23日(本部長通信974)

組織拡大(14)

肥料の投入

空手を修行をする時に必要なのはやはり、肥料であります。 芽生えた稲なら、稲にしっかり肥料を与えるのです。肥料をやるとまるっきり育ち方が違うのです。わたしたちの修行している時の、肥料とは一体如何なるものかと考えるのです。
日々の活動が辛い時もあるのです。人間関係ですから、あるときは、顎が突き出て、眼が三角につり上がって、思い出すだけで恐怖感を感じてしまう状況がただあるのです。それを辛いように考えるから辛いのです。
ところで、いろいろと困難がある事は、実に自分にとって肥料となるのです。そのことが、もし重荷になるようでは発展は臨めないのです。辛さの中で真実たる基準を保つとしたら、自己の内部において耐えざるを得ない戦いをして、勝利の証拠を表してこそ、評価されるのです。
しっかり肥料を投入して生きるということは、自分が今生きる為の戦いをしているということを実感しなければならないのです。そして、反対されたり、困難な事な事にぶつかるという事が、実は肥料という事なのです。
熱心に極真空手に反対する伝統空手の団体がある事も知っています。それでも、三年以上真剣に熱心につばを吐きながら反対されても関係ないのです。その反対が実は大いなる肥料という事になるのです。
そして、苦しいときに師範が沈黙するのです。そして、計画を立てるのです。そのときこそ発展の為のターニングポイントなのです。まさに稲のように、すくすく育って行くのです。