2010年5月18日(本部長通信934)

大山総裁からの贈り物

今日も意識を向上させなければと、焦るのです。身体の調子も今一なので、朝の起床は闘いでした。それでも、師範としての立場をしっかりさせるための準備なのです。そして、今日の師範の身体、師範の心情、師範の理念は、私から始まったものではないと感じるのです。
 今日の師範を掘り下げてみると、極真会館での先輩達、それが大山総裁に連結されて行っているのです。この関係で今の師範があるとすると、おろそかにする事は出来ないのです。私が極真空手を指導しているのですが、その内容は私のものではないのです。大山総裁からの「贈り物」である事は間違いないのです。
 この極真空手という「贈り物」を大切にしているのも師範なのです。この「贈り物」を横取りして、自分の物のように扱った人がいました。そして、贈り物を「私のものだ」というのです。極真会ならぬ云々会を名乗っているのです。まさに極真会館の伝統からすると泥棒なのです。それでも、社会貢献をしている団体であるからには赦されます。
 しかし、師範が指導している極真空手は誰のものかというのです。大山総裁から脈々流れてきた伝統であり、極真そのものなのです。それを考えると出て行った人のように、足で主人を蹴るような人になってはならないと指導するのです。