2010年5月15日(本部長通信930)

稽古時間

稽古の時間は、とても重要な時間なのです。自分の今までの持っている全てを投入するのです。自分の全てを投入するのですからまさに誰とであれ、一騎討ちなのです。師範が襟を正して稽古指導をするのです。外見上何ら変わるところはないのですが、指導している姿はまさに大山総裁の似姿という事なのです。
師範の、心からの指導が、言葉・身体全体からにじみ出るのです。やはり稽古を楽しいのです。今日も国見スイミングで稽古をしているのですが、小さい子供は四歳なのです。それでも、幼児言葉を使うことなく、一生懸命に説明しながら指導します。
指導とは、闘う時間なのです。自分で自分の能力を判定する時間なのです。それだから、道場生の真剣な眼差しをしっかり受け止めていい加減な事は出来ないのです。道場生がいい加減な気持ちで指導を受けるとするならば、横腹をひっぱたいても指導するのです。
稽古が終って、道場生の笑顔を見なければ、師範は帰る事が出来ないのです。子供たちと稽古を今日よりも良い指導ができるとすると実に気持ちがよいものなのです。よい指導は子供たちにとって喜びとして決定され、師範として尊敬される要因になるのです。
その稽古が一年・二年あるいは一生を経て評価されるのです。今ではないのです。そうする事によって勝利の歴史が残され、今の稽古が過去の稽古よりも輝きを増すのです。その意味においては、未来においても道場生の心に残る指導に心がけるのです。現実で感知する事が出来ない未知の未来が師範を保証してくれるのです。
ところで、指導に失敗があるとしたら、未来は決定されないのです。現実において決定されるのです。