2010年5月14日(本部長通信928)

真を尽くす

指導者という存在は、いつも道場生が気になるものです。特に、核になって宮城県本部を支えているスタッフに対しては思いを膨らまさざるを得ないのです。
ところで、極真会館宮城県本部のスタッフの役割をしながら、色々な理由から離れて行った人もいます。その人の為にも心を砕かざるを得ないのが指導者なのです。
 それは何故かというならば、離れて人が自己主張して責任を果たさないで行ってしまっても、その後継者が成長するまで心を砕かなければならないという気持ちなのです。出て行ったからと言って批判してしまったならば、師範は、真を極めるという気持ちに違反してしまうことになるのです。さらに、次のスタッフも育たないのです。
 ある意味で、出て行った人が責任を果たさなくても、必ず志のある人が現れ育っていくものです。ですから、出て行ったから破門するということはないのです。私も落胆もしないのです。必ず離れた人と、性格も似て、話し方も似て、歩き方も同じような人が入門して育っていくのです。それゆえ、師範は絶対に人を裁かないのです。
 師範がびっくりするのは、不思議なほどに離れて行った人と非常に似ている人でありながらも、すべての面において離れた人よりも並外れて優れた人が道場に入門して指導者に育っていくのです。このような事を見るにつけ、尽くした真は失われないと思うのです。
 ですから、離れて行った人にも、絶対にその思いでだけは忘れないのです。ホームページでも削除しないのです。そういう意味では、切ってしまったり、呪ったりはしないのです。その人が離れて行ったとしても、その人と極真会館を立ち上げて結んだ因縁だけは捨てはしないのです。