2010年5月11日(本部長通信923)

夫婦での道

 結構日々の生活の中で、苦しいことがあります。私はひとりで考えないようにしているのです。夫婦で気持ちを合わせて、どこへ行っても、夫婦で一つになって考えるのです。やはり人生で困難なことがあれば、涙を流します。身悶えもするのです
 そこで考えることは、妻と深い絆を結んで超えていくのです。今も困難な家族の課題もあるのです。しかし、妻と良く話し合います。これが生命なのです。師範の場合、特に心がけていることは、心の絆なのです。人は真理によってのみ生きることはできないのです。
 私の妻は知的というよりも情的なのです。ある意味で知識は、あらゆる方向に自分を分散させる作用をし、風呂敷を広げるようなものです。最終的には、自分自身を忘却させるのです。しかし、心情の世界はちょっと違っています。心情は分散というより統合を目指します。風呂敷で包むようなものです。風呂敷を広げて持ち上げることはできないのですが、包めば一度に持ち上げることができるのです。妻はそのように包み込んで、持ち上げてくれるのです。
 妻が知的なだけの人でしたら、ソクラテスを共に持ったようになります。自分の本性が分散されてしまうのです。私の気持ちにムラができて、孤独な時間が多く流れてしまうのです。自分の立場を掴むことができず、いつも堂々巡りです。
 妻と手を握れば、心と身体が暖まって涙も流れます。そのような妻を持ったことは師範としては幸せな人生をいただいたという思いになります。これが空手という修行の世界を行く者に取っては最高なのです。
 妻との心の世界はどこで結実していっているかというと、今日なのです。つまり生活の最前線なのです。今の瞬間はいろいろなことが展開します。そこで全てを収拾しなければならないのです。今の生活の中ですからいろいろなことが待ち受けていますし、予想すらできないことも多いのです。そのような時に妻との心の絆はより深まります。