2010年5月8日(本部長通信919)

武士道としての忠孝

武士道の道とはどのような道でしょうか。手塚グループとして活動している私たちは、会長・師範・道場生の三点をあわせなければならないのです。会長と師範、師範と道場生がどのようになれば滅びないかを考えなければならないのです。
 当たり前ですが、手塚グループに最後まで従っていかなければならないのです。否定されようが、たたかれようが、「こいつ、なんだ?」と言われても、なんとしてついていかなければならないのです。最後は足で蹴飛ばされたとしても、このグループと共に歩んでいくということ心で決めなければならないのです。そのようにしてでも、ついていってこそ、手塚グループで歩む道が切り開かれるのです。
 次にどんな道を想定するかと言うならば、会長が夢と理想を持って困難な道を行けば、会長の前に立ってその困難なことに責任をもとうとし、会長から任された仕事があれば、師範として担い、会長が倒れることがあれば、自分が倒れてでも会長の無事を願わなければならないのです。
 このような道を行く以外に、グループの発展はないのです。ですから、グループの発展を願うならば、会長の前を行くか、それとも会長に従って行くか、それ以外の道はないということを考えなければならないのです。それしか発展はないのです。
 手塚グループを支えるという観点から見れば、各県の本部が大きくなったからといっても、経済力がついてきたからといっても、世の中の全てを備え、贅沢が出来る環境になったとしても、真剣に手塚グループの為にそなえるという発想は出てこないのです。
 どちらかというと、何も無い中で叫ぶ忠誠心、何も無い中で現れる忠誠心、困難の中で実践する忠誠心が本物であるというのです。この内容でないか限り手塚グループは発展することはないのです。会長が求める、支えようとする心は、人間のいかなる力や手段でも、取り替えることができない価値があるのです。