2010年5月7日(本部長通信917)

指導者の心(2)

 指導者は、大切に可愛がってきた道場生から、感動を受けたいと思うものです。成長している姿から喜びを受けたいと思うのです。極真会館宮城県本部の活動が始まって、道場生が、いつもどうなっているか、切ない心情で心配するものです。空手道の歩みは、生涯を通じて歩むということなのです。特に、修行半ばで、他の道場に移っていった道場生に関してはなおさらです。
 師範の家族で子供たちを育ててきて子供たちは、もう二十歳前後になってきています。私の妻の息子、娘にお父を飲ませて育てる姿、子供たちがうんちをし、おしっこをして匂いがしても、その環境が嫌ではなかったのです。かえって、とても慕わしかったのです。
 妻が妊娠したときの私の心は、自分の気持などないのです。さらに、赤ん坊を抱いて育てるときに、寝床で子守唄を歌ったり、幼児言葉で話しかけたり、すくすくと育つことを願うその心は、親になって感じる気持ちなのです。
 子育ての時には、自分の思いどおりにはできないのです。赤ん坊が成長すれば成長した分だけ、そこに歩調をあわせて歩んだ日々だったのです。それと同じように、道場生が成長していくぶんだけ、師範は歩調をあわせて師範も成長していくのです。
 師範の姿勢は、真心を道場生に投入します。投入して忘れて、さらに投入する生活です。道場で成長する姿に師範よりも立派になって欲しいと願うのです。それが師範の心なのです。
 師範の最高能力を発揮し、傑作品として育てたのが、自信を持って、息子、娘であると宣言できますし、さらに、道場生に関しては、師範の人格以上になって欲しいと思うのです。