2010年5月6日(本部長通信916)
指導者の心(1)
道場生を愛する指導者の心は、美しいものです。自分の事を後回しにして我慢して、道場生に全てを与えようとするのです。その指導者の思いやりの前には、道場生の頭がさがるのです。間違いなく、指導者の愛情で、自然の法則が道場生を守り導いていくに違いないのです。
道場生の心は朝に夕に変わります。一日何十回とも変わるのです。そういう意味では道場生が自分の心を信じる事ができないのです。道場生の主張を信じることができるでしょうか。信じたら、変わる心に指導者は振り回されてしまいます。しかし、指導者は変わることを許されないのです。道場生に対する愛情心は変わらないのです。この世の中が変わっても変わらないのです。
確かに、宮城県本部は年々大きくなってきています。しかし、いくら人が増えたとしても心情的起源は変わらないのです。たとえ空手の能力が無いように見えた子供がいたとしても、関係がないのです。
空手の指導は平等です。よく出来る道場生だからと言ってよく見ようとする指導者はいないのです。誰もが喜ぶ指導に徹するのです。「お前は良くできるから、愛情をいっぱいかけて育てるぞ」等とは、口が裂けても、そんな思いがあったとしても、絶対に行動には出さないのです。指導者の心は、すべて同じように道場生を尊く思うのです。
大会で優勝させてあげたくても、何回戦かで負けてしまうこともあります。入賞を逃しても、次に大会に出る時までには、一緒に努力しよう励まします。道場生に背を向ける事などできないのです。
師範が道場生を指導するときに、自分と同じくらいの空手家になれるように指導するのではないのです。それ以上のレベルまで引き上げようとするのです。師範を超えた指導者として成長していくことを願わずしていられないのです。道場生が師範を乗り越えて行って欲しいと思うことは、師範の心の欲求なのです。