2010年5月6日(本部長通信915)
良き道場とは
指導者が道場生の手本となりたいとするならば、道場生に仕えなければならないという原則をしっかり持つべきでしょう。道場生が成長して、大会で優勝、さらには、指導者になっていくとするならば、道場生を讃えて行こうとする気持ちを持たなければならないのです。
そうすれば、指導者の枝は大きくなり、実を結ぶようになるのです。誰かを支えていこうとするところに、幸福の源が現れるのです。グループの為に自分の道場を守り大きくして行こうとする考え方がしっかりしなければ、自分の道場も発展は望めないのです。
指導者間の批判合戦を聞くに時に、心は暗くなるものです。批判は直接対話しながらするべきものです。それがお互い思いやりのある批判になるからです。ただの中傷ではどうしようもありません。
道場生が会話をするとき、師範と指導者を賛美するのが素晴らしいのです。全てのバランスが良くなり、丸くならなければならないのです。道場生に対しては、子供を育てるように、腹中で愛情を注ぎ、夫婦の愛情の宝庫の中で教育を受け、さらに成人となって、愛のリングを結婚式で交わし、息子、娘を産んでいくというそのような軸を道場に築いていかなければならないのです。
いくら指導者が理想の指導をしたとしても、道場を指導する指導者達が一つにならなければ、良き道場とは無縁なのです。また、指導者個人が、満足してなければ、良き道場で指導しているということもできないのです。
それは最も重要なことで、道場が一致して、平和な道場を築くのでなければ意味が無いことなのです。このようなことが全ての解決の起点になるということはいうまでもありません。