2010年5月2日(本部長通信910)
極真メッセージ(14)真を極める
本当に天理に通じる言葉が「真を極める」ということです。それは、思考すること、対話すること、実行する事等、あらゆる生活全てを極めるということなのです。そうしなければ、人の標本にはならないのです。そこには内外全て真を尽くすことなのです。
極真空手の場合は、死を覚悟するということなのです。どの程度の死を覚悟するということかと言うならば、自分だけの幸福のために、死を覚悟するのであれば、その他のレベルに付いては、限界があったということになるのです。
師範の場合は、確かに息子娘の為に真を尽くします。しかし、極真会館の為に真を尽くすとなれば、少し大変な事になるのです。長い極真会館の歴史の中で、この団体は滅びたかというと分裂をしたとしても発展を続けているのです。この極真空手の為に真を尽くす指導者達がいるのです。
極真空手の為に真を尽くすということは、特別なことではなかったのです。同じことを千回、万回、心を込めて反復しながら、自分の修行と同時に世界の極真メンバーにも影響を与えようとすることなのです。つまり、専門家になるということなのです。専門家になるということは、そのようなことを何度も繰り返すということなのです。
繰り返すということが、最終的には最高の権威が生じるのです。最高の技術者になるのです。空手を修行してなかなかうまく行くようにならないのが実感です。しかし、その上手くいかないことをしなければならないのです。やってみて、またやってみて、の繰り返しです。
それは、石を海に投げるようなものです。私が極真空手の修業で、成長していると思えないのです。何も変わっていないように思うのです。それが積み重なると心情的に成長することが次第に分かるようになるのです。
今日は、長野へ研修です。会長の呼び掛けで、興禅寺で会議と型の研修を行いました。会長の鋭い指摘がありました。所属意識があるのかということなのです。手塚グループとしての徹底した観念を訴えていました。
自分の道場だけの事を考えてはいけないということなのです。グループ全体の事を優先に考えて、会長の有終の美を飾るべきであるということなのです。いつまでも会長職についていないというのです。そのよう事を話しながら、しっかりとした組織を作っていこうという決意の場になったのです。