2010年4月24日(本部長通信902)

極真メッセージ(6)利他主義

道場に価値があるのは、先輩が後輩を指導するという利他主義が存在しているからなのです。上の帯の道場生が下の帯の道場生を指導するという伝統が宿っているのです。すべての道場生の関係が、教えられたことをすべて投入していこうとする伝統があるのです。
 みんなが、一人ひとりを大切にする温かい所なのです。道場に来るということは、心の解放であり探求なのです。胸いっぱい道場で修練し、歓喜の気合を入れながら和合するのです。もし、イジメにあい、友達に追われようと、道場で道場生同士、心情の絆を持っていけるのです。まさに家族として寄り添うのです。
 ともに生きる生活の典型は家族であります。父母と子女は愛と尊敬で、夫婦は相互信頼と愛情を土台として、兄弟はお互い助け合いながら、一つになって暮らすのが家族の姿です。道場では、師範と指導員が父母を代理し、愛の根になろうとするのです。
 道場には、今まで伝統の根が生きており、その値が道場の中に張っているのです。道場生が毎週気持ちよく来たいと思うのも、喜びの心を啓発することができる道場を準備しているのです。指導者は、間違いなく、良心の主体となって道場生を導くのです。そこに、集まりたいという気持ちをみんなに持たせるのも道場なのです。
 何故道場に通って修練していきたいと思うのでしょうか。それは、成長したいということであり、最終的には先輩の立場に立つためなのです。最初に目指すのは黒帯なのですが、黒帯をしめるということは、みんなに尊敬されることでもあるのですが、尊敬に相応しい愛情を道場生に注ぐことを旨とするのです。
 このように先輩の位置を確保するために、黒帯の位置を目指すのです。それで黒帯の位置を求めて何をしようとするのでしょうか。今までの極真会館は黒帯が目的で、それを取得すると終結するごとく稽古をやめてしまう人が多かったのです。つまり、燃焼しきってしまったということになるのです。さらに、先輩黒帯がその道を妨げることもあったのです。
 ところで、私たちが黒帯の位置に立つということの意義をはっきり知らなければならないのです。つまり、黒帯を獲得して人間としての力量を高めようとするのです。それは、道場を守ろうとするということなのです。本当の愛情あふれる師として立つということなのです。まさに、これが道場の根本なのです。このように道場を守ろうとするならば、なすべき指導が、本当の指導者として創出されたことになり、この道場は黒帯の位置に立った指導者の影響を完全に受けるようになるのです。
 その黒帯の位置を持った指導者を指導できないので問題が起こるのです。その黒帯の位置を掴んだ人を、さらに、祖父母のように指導できてこそ、家族になれるのです。その意味では黒帯の先輩の成長が願われるし、師範の内容が絶えず問われるのです。師範よりも愛情をもって道場を指導できるとするならば、師範その黒帯を認め、後継人とすべきなのです。それが、発展の要素となるのです。