2010年4月23日(本部長通信901)

極真メッセージ(5)手塚グループの役割

 天運と共にある春をたっぷりと懐の胸の中に入れ、皆と空手修行に邁進する幸せを実感するのです。私の活動は、日本国内と世界を意識しての歩み方なのです。ヨーロッパを中心に手塚グループの発展を喜びながら、北米、南米と広がりを見せ、アジアも拠点の拡大を図りながらの活動なのです。
 極真会館手塚グループを極真全体を牽引していく立場に立て、空手道そのものを発展させていくことはもちろんの事、既存の空手界に対してもメッセージを送るという広大な理想をいだいている私たちであります。
 手塚グループの出現は、決してひとりの人間から出発したものではないのです。崇高な志を成就していく団体として、その役割を果すことを目的としているのです。手塚グループは、道場生一人ひとりに対して、心を先立てて、武道に邁進すべきであると明確にする団体です。それは、私たちのグループでの言行はもちろん、今までの歩みをしっかり踏襲しながら、良心の歩みにしたがって活動しているのです。
 手塚グループは、妄想の世界でもなく、想像の世界でもないのです。良いからといって行き、嫌だといって行かなくても良い団体ではないのです。ある意味でこの団体の出現と活動内容は宿命的な存在として現実世界に提言していくのです。
 手塚グループは世間に対して、武道理念の実態を通じて、一人ひとりを完熟した武人としての結実体として実らせていくのです。ちょうど、秋になって、倉庫に入っていく完熟した果物のように、春と夏という過程を経ながら、自然界が提供してくれる栄養素と、農家のきめ細かな世話によって収穫されるのと一緒です。
 他の団体と比較してはいけないのですが、あえて言うならば、無精で見識のない農家の人が、果樹園を育てた場合、あらゆる病気と悪天候に悩まされ、熟すこともできないまま落果し、虫に食われた果実として分類されるようになってしまうのです。
 果物は果物ですが、市場に出して売れる完成品にはなれないのです。木の上で完熟した果物は農家の倉庫に入っていきます。同じように、手塚グループで鍛錬された生徒は自動的に完熟した人生を持つのですから,世間という倉庫に入って言って良い影響を与えていくのです。
 手塚グループとして歩んだ武道の世界は、人生を収録したということと思うのです。よく熟した人生だったのか、虫に食われ腐った悪の人生であったのかは、人生の記憶に赤裸々に現れていくのです。自分で自分を審判してしまいます。あらゆる誘惑に陥り,利己的で快楽ばかり求めた背徳の人生で終わってはいけないのです。