2010年4月22日(本部長通信900)

極真メッセージ(4)信念を貫いた半生

 師範の人生を振り返ってみれば,実に夢のような生涯です。多感な夢を抱いていた一八歳の時に,実家を後にして、世俗の夢をすべて捨てて、修行の道へ出発したのでした。決して平坦な道ではなかったのです。ひたすら前だけを見つめながら、歩いてきた六〇年あまりの人生なのです。
 極真空手に投入するために、私のあらゆる犠牲に耐え,言葉で言い尽くせない事だらけでした。親とも縁を切り、兄弟とも関係を断ち、ただひたすら人生の修行に出発したのでした。はじめの極真会館の道は、誰ひとりとして理解出来ないような険しい道程でした。
 これまで、何度止めようとしたことか数え切れない程でしたが、最後まで、この道の鍵を離さず生きてきた人生でした。親との縁を切ってまで推し進めた道でしたので、泣き言を言って家に帰れるわけもなく、友達に合わせる顔も無く、人生の終着駅をこの道に定めたのでした。
 この道に100%完全投入しました。青春時代でしたからあらゆる誘惑があって当たり前でしたが、誘惑のすべてを分別ゴミのように別けで踏み入れず、純粋に道を求めたのでした。当時の食事といえば、パン工場で捨てられる食パンの耳を貰いにいき、米袋の大きいさいっぱい詰め込んで朝昼晩と主食にして過ごしたのでした。
 まさに、食費ゼロを貫いての修行の道でした。激しい運動をするので、当時の体重は60キロにも満たないスリムな体型なのです。身体を鍛え、心を鍛えるのに余念のない時期でした。当時の極真会館で修練するということは、なんの保証もないのです。極真空手は武道ですし、生活の保障も将来あるわけでもないのです。
 私の必要なものは、お金でもなく、知識でも無く、権力でもなかったのです。只強くなりたいという一点でした。いくら高度経済で右肩上がりの裕福な状況が展開していても一切私には関係ありませんでした。大きな社会の中で、私の思考と行動は、武道世界という秩序の中で、法度にしたがって人生を送るだけでした。
 その時の現実と理想はかなり隔たりがあったのですが、蜜蜂のように、新鮮な蜜を味わおうと、夢中で花の蜜をすいたいような気持ちでいたのです。身体がボロボロになっても、逃げたくなって修行を中断しても、また戻っていって、この理想にしがみつこうとしたのでした。
 考えてみてください。誰も行ったことのない道を推し進めていくのです。それも、喧嘩空手です。世間体もよくありません。誰もが行かない世の中では、隙間の人生のようでした。喧嘩空手に命をかけると言うことは、当時のヤクザも蔑むぐらいの生き方であったのでした。しかし、誰がなんと言おうとも信念を貫く私の姿だったのです。