2010年4月19日(本部長通信897)

極真メッセージ(1)伝統

 手塚グループは全世界の国々が力をあわせて、極真会館の伝統を創建するために、世界的次元で拡大、格上げし、本来の空手道を目指して生まれ変わろうとしています。二十一世紀に入った私たちは、大転換期におかれていると言っても過言でないのです。
 新しい極真会館の伝統を確立させることが出来るのか、それとも、今までの内容を反復させるだけの暗鬱な歴史を再び繰り返すのか、決定せざるを得ない時点に着ているのです。今の極真会館の姿は、本来の目的を遂行するにあたって、深刻な問題に直面していることを自他共に認めるのです。
 極真会館の姿を垣間見ても、自分の団体の権益だけを求め、閉鎖的に成っている現状を見ると、新しい次元で一致していく必要性を感じるのです。極真会館の究極な目的は、理想の人格を完成して、喜びを感じる人生を過ごすことです。
 では、理想的な人格というどのような姿をいうのでしょうか。道場生が見本とする人格者であり、指導者たる道を行く人ということになるのです。もっと端的に言うならば、喜びを感じて生きる人生を歩む人をいうのです。
 道場で稽古に励むときに、神秘的な境地に入って、重要な尊い気持ちになるのではないかと思うのです。道場はある意味で、理想が高い尊いところにあるとするならば、稽古で尽きない欲望が啓発され、またそれを追求する事になるのです。稽古に望めば、充実していると言う何とも言えない幸福感が一人ひとりに感じることができるのです。
 閉鎖的な団体は滅びてしまうのです。団体そのものが無人島に捨てられたようなものなのです。一団体だけで、稽古をしても、なんの役に立つのでしょうか。団体そのものも、どこかの団体と友好にしてこそ、喜び、幸福はついてくるのです。原則的に最初の理想に立ち戻るべきなのです。
 もう一度原点に立ち戻って、大山総裁の伝統を引き継いだ、極真会館が理想とする理想団体、すなわち、理想の極真会館を目指すべきなのです。伝統がなければ、極真の命がないのです。伝統が残ってこそ、大山総裁の息遣いが継続していくのです。言い換えれば、大山総裁が提唱した結実が提供されていくのです。それでこそ必要十分な伝統になっていくことを感じなければならないのです。