2010年4月18日(本部長通信896)

道場訓(7)

「我々は生涯の修行を空手の道に通じ極真の道を全うすること」
 私たちの道場訓は、極真空手の根であり、生命の根であり、伝統の根であり、修行生活の根なのです。道場訓は、一心、一体、一念、一和の修行生活をする道標なのです。このように、空手道追求に自分自身の置くことによって、身心一体の完成を目指すものは、空手道の極致に到達した大山総裁の弟子になることができるのです。言い換えれば、極真の道を全うすることによって、大山総裁が切り開いた無限の価値を相続することができ、完成させる道を切り開くのです。理想の人間性を目指すことになるのです。
極真空手で修行し武道を学ぶということは、強くならなくてはいけないということが前提なのです。強さとはすなわち力であり、その力とは精神力・体力・知力など全ての人間力を総合しての力なのです。人間誰しも100%パーフェクトな人間はいないのです。しかし、極真空手を学ぶ事を始めた時から、たとえ、生涯かけたとしても、常に100%に近づけるように努力を続けるのです。何も極真の道場にいるときだけが修行ではなく、日常生活そのものに、影響を与え、それが生涯続けるのです。
極真空手でただ空手術を学んでいるだけの気持ちでは、私たちは、ただ武術を習いに来ているだけであり、真の極真空手の教えを学びに来ているのではないのです。極真空手で本当の人生を学ぶのです。極真空手は、どんな立場にあったとしても、その極真精神は永遠に続くものでなければならないのです。
この極真空手の修業によって、人間の欲望と希望、そして、幸福という実感をすることができるのです。道場訓を原点として従来の人生から新たなる人生へと転換を願うのみです。この道場訓に照らし合わすならば、良心が働き、その働きは、父母に勝り、師に勝ります。多くの道場生がそのような価値を実感しているのです。
道場生は、道場訓を心の中に保全して、社会の汚れに汚染されることが内容にすべきなのです。自らの力で、環境を浄化し、かえって周りに影響を与えなければならないのです。闘って勝利するための道場訓なのです。
間違っても、贅沢する生活に幻惑されないようにすべきでしょう。さらに、権力や利権をむさぼってはならないし、知識優先主義に流されてはいけないのです。極真の精神を売り払うこと無く、人生を邁進すべきなのです。
現実の様々な困難を避けず、現実を果敢に撃破し、勝利を勝ち取らなければならないのです。その武器が、まさに道場訓であり、伝統で武装された極真会館であるのです。そして、道場生の前途は、不可能がないのです。はっきり理解してください。

最後に
 道場訓は、私たちにどのような影響を与えてくれるのでしょうか。簡単なことです。第一に良き親に育てようとしているのであり、第二に指導者として恥ずかしくない人物に育てようとしているのであり、第三に本当の極真マンを育てようとしているのです。
 実社会は、様々な組織体と、それに関係するものとしての調和の中で運行されるべきと考えたいのですが難しいものがあります。複雑多様な世の中で、人間と人間の関係はもちろんのことながら、環境に対しても道場訓は、適用される考え方なのです。
 より、全体のために配慮でき、奉仕するための人生が、目指す方向性なのです。私たちは、社会的地位や位置によってではなく、その人の人格と思いやりによってなのです。私たちに与えられた「良心」は、道場訓を物差しとして、最善なものとなり、一生を航海するに必要な羅針盤として受け止めて良いことなのです。