2010年4月17日(本部長通信895)

道場訓(6)

「我々は知性と体力とを向上させ事に臨んで過たざること」
 極真精神を持った人物としての方向性を指すのですが、個人として心と体を成長させることが大前提になります。どのようにして知性と体力を向上していくかと言うならば、極真空手道を継続時に、「信念」と「押忍」と「指導力」が無くてはならない要素なので、フル活用するのです。この三要素が極真空手を身につけていく上での必要なのです。このことは、道場生だけではなく、指導者にとっても必要になってくるのです。
 新しく極真空手を学ぶ上で最初の「信念」は、自分が空手道を通じて自己創造していくうえで絶対必要な事なのです。憧れて極真会館の門を叩いたのです。大山総裁の弟子として、その全てを相続していくという「信念」なしでは話にならないのです。当然宮城県本部においては、師範や先輩の空手道に対する内容を吸収するのです。
 「信念」ということは、憧れた空手道に対しての基準をしっかり持つということなのです。初めて学ぶとき、自分自身が無い状態で稽古に入ります。何もかもが新鮮です。すなわち、完全にゼロなのです。完全に無の境地に立つのです。無になっているので、自動的に道場のすべてを与えられるので、循環運動のように空手道の伝統が道場生の身心を回り始めます。ここに知性と体力の向上の第一歩が始まるのです。
 そこで、一道場生として一生懸命投入するのです。完全投入していくので、あらゆるものが身についてくるのです。したがって、自己主張などできるはずがないのです。自分がありすぎると、師範、先輩の内容を吸収しにくくなるのです。
その次に必要な資質が、「押忍」ということになります。道場生の五官すべてが、空手道に同化していくことを心がけるのです。師範や先輩の指導を受けるわけですから、貪欲に一つも漏らすことのない気持ちで、一致しようとするのです。この業を成し遂げるには、「押忍」の精神しかないのです。
 このような気持ちを継続すると言うことで、師範も先輩も心に留めて協力して行こうとする心が増し加わるのです。つまり指導者から道場生に極真空手の伝統がすべて投入されていくのです。「指導力」はこうして生まれてくるのです。師範と先輩の「指導力」の成長のためにも道場生の「信念」と「押忍」の精神は絶対に必要になるのです。