2010年4月14日(本部長通信892)

道場訓(3)

「我々は質実剛健を持って克己の精神を涵養すること」
肉体を強く逞しく、常につつましやかな素直な気持ちと、自らの欲望や邪念を抑制できるような精神を育てなければならないのです。この内容は、将来において家族を形成していくうえでとても重要なのです。武道は家族を守ることに原点を置いているのです。
そこで、主体的精神を忘れない生活、心の世界を忘れない生活をするならば、どんなに体を鍛えても構わないと言うことなのです。今まで体を鍛えると言うことが、健康増進というよりは、肉体を持て余し、いかがわしい事するという構図に成っていたのです。昔で言えば吉原で遊んだり、現代ではソープランドで性を弄んだり、その環境がまるで公認されるごとくまでなっているのです。その環境に道場生として、陥っては空手修行の意味はなくなります。質実剛健がセクシャルアニマルとなっては武道も修行もあったものではないのです。
今からは心が体を涵養する人生を営まなければならない時だと言うのです。家庭を守るということは妻との愛情関係を大切にしなさいということなのです。まだ独身であれば、新妻を迎える清き魂を備えるべきなのです。何人とも関係をもって乱れた人を夫に迎えようとする女性が本性的にいるのでしょうか。本来ならばどんな男女も容認しないはずです。
私たちの生活の毎日が心を主体としているという観念を持って生きなければならないのです。日常生活が、心に関して体が完成形態を整え、心の感性基盤を形成しなさいと言うのです。直接的関係なのです。その直接的関係が、毎日、一年、一生を通じて関係を結んでこそ、自分の居住地となるし自分の家庭になるのです。
言い換えれば、毎日、心と体の統一であり、前進的に発展させていくのです。停止してはいけないのです。停止すればすぐに落ちてしまうのです。寝てばかりいて怠けて、食べて楽しむことだけでは、容認されないと言うことなのです。実に忙しいのです。一生は短いのです。休まず走るべきです。