2010年4月10日(本部長通信888)

道場の神聖性

 道場は神聖な教育現場です。そして、その中で、道場生は、修練を受けるのです。ところで、当たり前ですが、道場は、道場生が入門する前にあるのです。そして、そこには伝統があり、先輩達の汗と涙が込められているのです。
 その内容をしっかり噛みしめて、相続しなければ、道場生が正しく空手の修行をすることはできないのです。道場は空手の修行でどのように築かれるのでしょうか。道場生の身体の中に築かれていくようになるのです。ですから、何年か修行すると、道場生そのものが道場を背負って回り、つれて回るようになるのです。ですから、ある意味で逃げる事が出来ないのです。
 道場は、道場生がいつも引っ下げて、いるようになるのです。また道場も、道場生の為にいつも存在するようになるのです。それゆえ、立場が出来れば出来るほど、深刻になるのです。いつも自分は何を持っているかを問うようになるのです。
 いつも道場を背負って、修練してこそ、正しい極真魂を持った人生を行く事が出来るのです。道場に関係を自ら意識して歩むことによって、広大な精神世界をゲットできるのです。考えてみてください。道場を背負うということは、一つの内的な潤滑剤のようなものです。なんでもスムーズに極める可能性を秘めているのです。そのように思うと、極真空手という魂に充満した世界を持って人生歩むならば、できないことなどないのです。道場生が意識構造を持って収め得る可能なところが、道場なのです。
 道場は、今までの先輩達が鍛錬してきた要素で充満しているところなのです。修練でいっぱいになって調和していると言って過言でないのです。ですから、道場に一歩踏み入れれば、道場生の心の全てが作動するようになっているのです。ちょうど身体が電球だとすると、その電球に、明かりが灯るのです。
 それゆえ、道場で稽古すれば、いや稽古をしようとする意欲だけでも抱けば、前後左右上下と、思うままに自分を操縦する事が出来るのです。嫌でそうなるのではなく、自動的にそうなるのです。 
 それで、道場というところは、「修行の伝統が充満した所」という概念を発見する事が出来るのです。道場で、極真魂の良さを味わうことになるのです。色々な世間を見るにつけ、極真魂という眼で見るようになるのです。そして神秘さは形容しがたいのです。