2010年4月7日(本部長通信885)

目標設定

 人生において相当気がかりな時代に入ってきました。青年達は、大学へ目的なく入学しても何の意味も持たない事になっているのです。卒業して就職するにも難しくなっているのです。さらに、人生の目的が明確ではないのです。それゆえ、ある意味で資格を取ればなんとかなるという幻想の中にするのです。それは、余りにも短絡的な事と言わざるを得ないのです。
 今の学生は、社会をリードしていかなければならないにもかかわらず、理想を持つ事が出来ずに、ニートやアルバイト、定職に就くことなく彷徨している数が多いのです。資格を取ったとしても、そこに安住する事が出来るかというとそのような事はないのです。つまり、目標設定がなされていないのです。その原因を少し考えてみたいと思います。
 学生本人が、信じる事の出来る理想を持てなくなっているのです。例え資格を得ても就職先がないのです。あるいは、入社してみると、今までの生活と環境が自分と違った方向でしか感じ取れなくなっているのです。人間は、知能を持って比較能力があるので、最良の事であれば、不都合な事を捨てて、チャレンジするようになっているのです。より次元の高い価値のあるところがあれば、そこに行くようになっているのです。それが人間の本性なのです。その意味では青年が夢と理想を持てなくなっているという事目標を失っている原因なのです。
 この変化の激しい社会現象をしっかり捉えきれないのです。学生一人一人が孤児のようになっているのです。つまり、方向性をつかめずにいるのです。資格取得で安住できる人などいるはずないのです。仕事ができるパスポートはあっても、何に乗ってよいのか分からないのです。乗り方も分からないし、乗り物もないのです。個人生活と社会との順応がなされないのです。
 さらに、安心して人生を送れる就職が出来ないのです。社会が余りにも新しい力を受け入れる体制を失っているのです。安心して人生を送れるという環境が失われているのです。
 このような環境の中で、自ら開拓して、安心と安らぎを感じる事が出来る方法を身につけて行かなければならないのです。極真空手は、心身が環境と融合して、新しく一つの目的に向かって動かせる媒介なのです。理想的な自分を作り上げていける動機的な手段です。
 理想的な動機が生まれれば、身体も喜び、気持ちも明るくなり、自動的に一つになるようになるのです。今の社会の不条理な内容を乗り越えて行くには、身心を一つにして、自分に革命を起こし、根本から是正する起源を発見してこそ見出す事が出来るのです。極真空手は絶好の材料になると確信するのです。環境や社会に転嫁することなく進めて行くべきなのです。