2010年4月6日(本部長通信884)

充実した親生活

 師範は結果として、親として子供たちを育てていくという一生を送っているのです。もう既に二十歳前後になっているので余り手がかからないのではないかと安心していましたが、全く子育ての最中という結果になっています。
 母親では処理できない問題を子供たちは抱えます。聖義の二学年における留年問題、長女のダイエットの問題、二女の環境に対する不安を感じる問題、今まで様々乗り越えてきましたが、これからも、課題の手助けは続きそうです。もちろん夫婦で対応するのです。
 今まで子育ての人生は、余りにも短く感じてしまいますが、直面すると真剣そのものです。子育てにかかわる事は一生としても感じるのは、短いのでしょう。すなわち、人生ということで考えれば僅かという事なのです。
 しかし、師範が感じているのは、親の愛情の力は偉大なのです。この愛情は、子供たちに対して、時間と空間を超越して、認識する事が出来ないほど、深く作用するのです。果てしなく、親として最後まで愛情は続くのです。
 それゆえ、子供たちは、故郷の両親の元に心を向ける事が出来るのであると感じるのです。肉体の続く限り、子供に対する愛情を持ち続けて行くのでしょう。人は誰でも人生を幼児として青少年として、さらに青春時代、壮年時代、老年時代に入っていくようになるのですが、親子の絆を深めながら、日が沈むように一生を終えるのだと感じるのです。
 結論としての親生活ですが、この言葉を使った目的は、人生の有意義な時を知るためです。親生活の価値が、本当に誰でも親であれば知っているのでしょうか。親生活をしている当人はそんなに分からないで過ごしているのです。ある意味で、必死になって子供たちと係り合いを持ちながら、子供たちにしがみついて人生の価値を打診した人でないと本当の親生活は分からないのではないかと感じるのです。