2010年4月2日(本部長通信880)

理念と現実

 これから、介護事業をしようとする、経営者と話してみました。実に7年以上も極真空手に携わった指導員です。頭脳で考え、手続きや、資格を取りながら進めて行くということでした。実感として感じる事は、何かを運営していくということは実に厳しい事があるという事を私なりに認識しているのです。また伝えようともしました。
 多くの人が、自殺に追い込まれ、浮浪者になって公園で寝泊まりするようになってしまう原因は、経営に失敗した人も多いのです。人が生きて行くことは実に大変なことです。特に経営者として身を立てようとする、人を束ねなければならないのです。込み入った人間関係を調整しながら進めていかなければならない事になります。
 まして、進出する分野が素人状態であった場合には、困難を伴います。まるっきり経験のない分野で仕事を推し進めて行くことは、実に五里霧中ということになります。仕事のパートナーを雇ったという話もしてくれました。当然給料の支払いも始まります。大変なことです。色々話が弾みました。理想に燃えていました。師範は、最悪の事も脳裏を霞めるのです。一歩間違えれば奈落の底へ落とされてしまう事も自覚すべきでしょう。社会を生き抜くということは実に難しい事なのです。
 というのも、今回対話してみて、一年前の様子と違っているのです。最初の話では、不動産を提供しくれるオーナーと介護の業者を仲介し、そこで得た利益を展開しようとする内容でしたが、結局は全て身内でやっていく事に話がなっているので、心配せざるを得ないのです。
 師範の場合、人に恵まれました。人間関係が師弟関係であるのです。道を極めて行く事を先駆けた私が、指導者として束ねましたので、ある意味で、意志疎通ができるのです。さらに、極真会館という伝統を継承している中なので、大山総裁の中心心情がにじみ出るのです。
 人はあらゆる失敗をして成長するということにもなるのです。もし、弟子に何かがあれば救済しようとする心がなければ、理想像とする指導者とは言えないのです。それにしても、今年勝負を賭ける経営者になろうとする弟子の前途に思いを寄せながら別れたのでした。