2010年3月31日(本部長通信878)

新世界

 今年早くも三か月が過ぎてしまいます。極真会館宮城県本部は、2001年の出発の時から、新たな時代へ突入です。現場の新たなる責任者の力強い牽引力が試されます。確かに確実に次の世代へと移行していくのです。師範は、現場の指揮官というよりは、もう祖父母のような立場なのです。
 極真会館に親父が現れているのです。どのように伝統を立て、新たなる未来へ道場生を導いていく戦いが始まっているのです。師範は、日本と世界に責任を持つ意識が強いのです。つまり、手塚会長と表裏一体となって、世界を相手に戦っていくということになります。当然宮城県本部は、これからの未来に対して伝統を打ち立てる親父の出番なのです。
 ところで、人類70億がひしめき合っていようとも、変わらない事があります。人口がどんなに増えようとも、家族という単位は絶対に変わらないのです。その基本軸を中心として極真会館の方向性を決定させているのが、手塚グループということになるのです。
 今親父の立場で、組織をまとめ、伝統を立て、切り盛りすぐ親父の姿を、師範は、目に焼き付けているのです。実に大変なことで忍耐しなければならない事です。宮城県本部の運命を親父に任せるのです。道場も家庭基準を顕現させるのです。この道場は家族主義を取るのです。数十年の道場運営をしてきました。
師範は、論語を読み、仏典を読み、聖書も読んでみました。修行僧が世を捨てて修道生活をしていくのを映画でよく見ました。身を清め、断食をし、経典を読んで何を最終的に求めて行くのかと考えるのです。独身で誰からも相手にされず、生涯を終えるとするならば、それほど寂しい事はないのです。
未だに理解できない事があります。修道僧やシスターは一生独身で生活します。しかし、その原点にキリストがいて、その人を慕い求めて行くというのです。つまり、その人と生涯を共にするがゆえに独身を貫くそうです。坊さんにおいても、お釈迦さまとの絆を持ちたいという事なのです。そこでこれらの人達も独身を貫いたのです。
 私の結論は、理想の人生を歩むために、家族を単位として理想的に生きるという事に思えるのです。それゆえに、道場の運営は、家族でしかないのです。この理想を捨ててしまえば、何も残す事は出来ないのです。修道の道でキリストやお釈迦様を慕う道ではないのです。妻を慕い、息子・娘を愛する道なのです。