2010年3月29日(本部長通信876)

道場は実験所

 道場は幼稚園から小学生、中高生、大学、社会人まで、あらゆる人達が、実験するのです。これらの人達が住む世界は、数が多いだけであって、実に師範を拡大させたものなのです。師範が歩んできた極真での歩みの内容の権勢を相続できる特権があるのです。
 道場は、修練所と同じであり、修養して社会に貢献していくことを考えて行くべきなのです。特に強調することは、社会に貢献しなければ、道場で修練して、実験しても、すべては落第していくようになるのです。
 この道場は、師範の伝統基準があるのです。青春時代に過ごしたあらゆる体験と経験が生きているのです。誰もが経験しなかった武道空手の真髄が込められているのです。師範が経験したことは、空手界で誰も経験した事のないフルコンタクトの戦いであり、まさに武人としての生き様だったのです。
 さて、この道場で何を修練しなさいというのでしょうか。人は気持ちを離れては生きる事は出来ないのです。例え、師範が全ての権威をもっていたとしても、日々の喜びなくして何の意味もない事なのです。自分の率いる、指導者・スタッフ、あるいは道場生が気持ちの喜びを感じなくして何ら意味を持たないのです。
 道場は社会を代表する教育機関なのです。そこは何度も表現するのですが、師範を中心としなければならないのです。つまり、道場で修練して、心身を訓練して、生理的な発展を助け、即で情緒的な面を助けてくれなければ意味を持たないのです。 
 それゆえに、それらの修練をしっかり積むことによって社会生活の為の実験的な訓練を行なったということになるのです。かといって社会生活で終わるのではないのです。もっと大きなところへ進めていくべきでしょう。国の為の貴重な中心人物になる事も可能であり、人材として誰もが必要とされる人を育てるのです。