2010年3月27日(本部長通信873)

収穫

 子育てこそ自分の責任であると感じるこの頃です。歳月を過ぎて感じることは、息子・娘たちを、自分の誇るべき内容になっています。その子供たちが、立派になってこそ自分が誇ることができるのだと感じるのです。誰でも何かを残すことを願うのですが、師範の場合、終生の目的として子供の教育を挙げることになるのです。人生の収穫なのです。
 この世の環境は確かにいいものではないのです。その環境で苦労することも辞さないわけです。そこで例えば、自分たちが利益になるとするならば人はついて来るわけです。ついてくる人に取って収穫ですが、師範にしてみれば、収穫に思えないように感じるのですが、実は、ついてくる人たちも収穫になります。
 武道教育によって、その教育された人たちが繁栄するとするならば、悟らせて、精神を正して、師範以上の実績を残すことのできる人物を築いていくことが重要なのです。それゆえに、道場に種を巻いているのです。汚れない所に蒔いているのです。
 この道場が汚れないところという理由は、青少年達が集っているからなのです。この青少年たちにしっかり一度植えたならば、一生ものなのです。その時一度植えたならば、抜いてしまうことができないのです。
 人はどの時が一番鋭敏なのでしょうか。小学校のときが一番鋭敏なのです。中高等学校になれば、だんだん希薄になります。大学に行くようになれば、隣町ぐらいの感覚になってしまいます。そのような意味では、道場生は小学校レベルということになります。一番武道精神が身につきやすいということになります。
 子供たちと稽古をしながら、倫理・道徳を叩き込めば、それが子供たちの将来のための財産として積まれるのです。このような指導が私たちの本業であり、最高の収穫なのです。