2010年3月25日(本部長通信871)
世界を舞台に苦労しよう
私は、極真空手という分野で歩んでいます。人生の戦場をこの場所に決めました。そして、日本という国家を超えてしまっています。毎年ヨーロッパやロシアそしてアメリカへと忙しいのです。ある意味で活動の舞台は世界なのです。極真会館という立場で、宮城県本部を運営するという意識をはっきり持たなければならないと思っているのです。
ところで、師範は、世界的立場で極真会館と共に生きる道があるために、その道を探していくのです。とてつもない夢を追っているのです。そこで、この極真空手という版図は、お金のためでもなく、名誉のためでもなく、ただ人を育てるためにあるのです。人を育て、寝ずに、食べずに歩んでいかなければ意味のないことです。どのような人として育っているかがこれから私の夢ということになるのです。
さて、極真空手は武道ですから、誰かに助けてくれと絶対言わないのです。私たちの意識は誰かを助けてあげなければならないということなのです。ある意味で極真会館の法度は、公儀を優先することなのです。私的なことを二の次にして、公儀の道を行くのです。
道場に多くの人が来る理由は、道を求めるのであり、修行することなのです。師範が自分の欲ばかり張っていないのです。自分の欲ばかり張れば、誰もが嫌がるしその雰囲気で充満してしまいます。この道場が私的か公的か、誰もが言わなくても全ての人が理解できるのです。間違いなく公的であるというのです。
従って、極真会館の法度に従っていくならば、自分自身が滅びるのを防御してくれるし、さらに保護してくれるはずなのです。自分の思いのままに、何も感じずに過ごすと、私的におぼれる場合があるのです。ちょっと油断すると私的な側に入り込むことが多くなります。そのような意味では、私的な感情を超越して、公的な感情をどのように会得するか、極真空手の修行を遂行するために重要になってくるのです。そして、師範の人生行路ですが、世界の極真家族として繋がって道を行こうというのです。舞台は世界なのです。