2010年3月22日(本部長通信868)

青少年交流振興協会理事会

 朝早くから、新幹線で東京へ出発です。車内で進めて行こうとした仕事ができず、爆睡状態でした。東京へ到着しようとする時に、広島の宮城本部長より電話がかかってきました。広島での打ち合わせの内容でした。
 色々と刺激を受けたらしく、これからの方向性を自らの決意に変えていたようです。広島と言えば、私の青春時代の1ページを飾るとても大切な記憶が残っている場所です。3年以上の期間、田原敬三氏と苦楽を共にしました。あのウイリー・ウイリアムスと世界大会で大一番を行って勝利をした人なのです。
 森周治師範の指導で私たちは、切磋琢磨したのでした。稽古は基本からは始まり、移動、型、組手と池袋本部での稽古を再現するような指導でした。独特なのは、補強運動です。16キログラムの鉄アレーを両手に持ち、腕を鍛えるのです。長い時間費やすので、腕の筋肉は相当に、身について今でも重いのです。
 宮城師範との電話も終わり、1年ぶりの青少年交流振興協会での理事会に出席です。同じメンバーが顔合わせをして、1年間の総決算と来年度のスケジュールの確認をしました。3時間余りで会議を終え、協会のこれからの方針を確認しました。会合の中で、世界大会を行うときの、ビザ問題や、長野の研修所の使用の件をお願いいたしました。
 会議を終えて、新幹線に飛び乗り、我が家に向かうのです。これから、広島を含めて手塚グループの驚異的発展を願わざるを得ませんでした。同じ理念で築き上げていく事を確認しながら、くさびを広島にも打ちこんだのでした。あらゆる困難にも打ち勝って極真会館手塚グループの発展に貢献して欲しいということを願うばかりでした。