2010年3月18日(本部長通信864)

愛情の速度

 家族の事を思う早さですが、スピードは結構速いのです。ある意味で、光の速度より速いような気がします。そのような意味で愛情は、早く伝達されその力は大きいのです。最近考えることは、人生はそれほど長くはないということです。ちょうど彼岸の入りに入ったので感じるのですが、お墓の中に多くの先祖が眠っています。
 ところで、先祖の中で良く語り継がれる人は、家族に良いことをした人であります。家族のために考えて行動した人が、いつまでも語り継がれるのです。何代か前の先祖が、語り継がれているのです。ある意味で自己中心に生きた先祖のことは話題にも上らないのです。話題に上っても、悪い意味で語られ、財産を全部使い果たして、家族を滅ぼした事などです。非難中傷はあっても良く伝えられることはないのです。
 その意味ではどのように人生の暮らしをしていくべきか考えさせられます。後孫からして問題になるのは何かというならば、自己中心主義で測定して生きた人なのです。良くて悪口であり、殆ど忘れ去られてしまうのです。もし全体のために生きた先祖であるならば、全体測定という方向に適って、良く伝えられるようになるのです。
 ところで、全体測定の人とはどんな人でしょうか。例えば、師範が一着しかない背広を着ているとします。これを全体測定という方向で誰が脱がすことができるでしょうか。私は死んでも脱がないでしょう。なぜならそれしかないからです。自己中心主義測定で考えれば強制して脱がせることになるのです。私は決してよい気持ちにはならないのです。
 ところが、春夏秋冬の服を持ってきて、師範の服が冬の服だとします。全体を測定の人は、春夏秋冬の服を持ってきて、今春だから、春の服を着たらどうですがといってくれるのです。それで、「脱ぎなさい」といわれても、素直に脱ぐのです。自己中心主義測定では、普通そのような心がけはしないのです。全体測定の人は、代替しえる価値あるものが何であるかを示すだけでした。そして、笑顔で脱ぐのです。心を通じる人の生き方、それも光より早く影響を及ぼす能力がこれから必要であると思うのです。その意味では、全体測定でもって、相手に通じる愛情の速度を早くするようにしたいものです。