2010年3月17日(本部長通信862)
人生必然の道
この地球も呼吸していますし運動もしています。私の細胞も息をしていますし、呼吸もし、運動もしているのです。この体はどこに行こうとし、この心はどこに行こうとしているか考えるのです。回答は出ないのです。
さらに、この生命はどこに向かって傾いていて、自分の愛情はどこに行こうとしているのか、また、自分の願い、あるいは希望と理念はどこにいこうとしているのか、この問題を解決できないのですが、行かなければ行けない運命におかれていることは間違いないのです。
はっきりしていることは、私が生きて死ぬ日、この体は火葬場で焼かれるということです。そうであるならば、火葬場で焼かれるその日、この心も、この生命も、この愛情も、この理念も、あるいは希望まで共に焼かれてしまうと思って生活などできないのです。
ここに、自分になりに、内容と解決策と目的観を自分で提示すべきなのです。道場の稽古は、自分の歩みを見つめて、動く心と愛情に向かって、「お前どこに行くのか」と尋ねるのです。この尋ねていく自分を絶えず発見するのが修行の道であると思うのです。