2010年3月16日(本部長通信860)
この道場は家族なのです。何故でしょうか。道場の出発、動機、過程、目的など全てのことが、家族を中心としているからなのです。その中心モデルが宮城県でしたら師範の家庭ということになります。このように道場の内容に関しては過程を通して結果が出てくるのです。
道場生の成長は、師範の愛情によって成長するということになるのです。当然、今まで大山総裁から育てられた継承ということなのです。それは、ある意味で家族であるがゆえに可能なのです。理想の結実を結ぶのですが、それは愛情が原点になっているのです。それゆえ道場の環境は、ベースが家族ですから、家族的環境を中心として稽古を積み重ねて、成長するようになっているのです。
極真会館の道場では、帯の門を通らなければ一人前の指導者にはなれないのです。今まで伝統派空手で修行をしてきたとしてもゼロからの出発になります。もちろん、今までの内容に関しては尊重もしますし敬意も払います。しかし、独善的に思えるでしょうが、修行者として必ず行く道なのです。いくら誰がなんと言っても帯の門は叩かなければならないのです。
非常に重要な問題がこの帯なのです。私たちは、理想を探して行く群れです。ですから、誰もが認める内容を審査しなければならないのです。もちろん公正に取り組むのです。そして、修行の結果を道場生一人ひとりが種として蒔いた分を帯として刈り取るのです。
道場生が空手の技術と精神を稽古で学ばなければならないのです。人は、生活をしながら老けていきますが、稽古をするならば、魂は若返るのです。どういう意味かというならば、稽古を続けていくならば、最高に円満な美男、美女になるのです。ちょうど蛇が脱皮していくように、帯の門を通って若返っていくのです。