2010年3月5日(本部長通信849)
手塚グループの理念 家族(23)
手塚グループの仙台における極真フェステバルが明日行われるので、今日の全ての教室はお休みです。個人主義について考えてみようと思います。自分自身の中で、自分だけを主張する部分は一つもないのです。子供が母親のお腹の中で、育つときに、99.999パーセントは母親の骨と血肉なのです。そして、0.0001パーセントが父親の精子が含まれているのです。そこには、お腹の中の子供として、自分自身で身にまとうという概念はないのです。どんな子供でも100パーセント自分自身ということはあり得ないのです。
いくら立派な人といえども、自分ひとりで生まれてきたという人は誰もいないのです。子供たちの身体の全ては、両親の身体の延長という事実を認めざるを得ないのです。子供たちの身体のあらゆる要素は、卵子と精子に含まれているということなのです。絶対に例外はないのです。ですから、どうして個人主義という概念の根拠があるのか理解に困ってしまうのです。
さらに、上という言葉が成り立つときには、下という事を認めたうえで成立するのです。例えば、上という事だけで、個人主義は成り立つことができるのでしょうか。右ということは、左というものがあらかじめ前提として使われるのです。前後についても、前というのは後ろを認定して言う言葉なのです。
当然、男性ということについても、男性一人を念頭においていう言葉ではないのです。女性を前提においていう言葉になります。これは、師範がでたらめに話していることではなく、自然の法則なのです。
そこで男性は何故生まれたのかと考えれば、強がりを言えば、男は強いから自分ひとりだけでも生きていけるので、女なんか別に要らないというのですが、師範の結論は女性がいなければ男性は必要がない存在であると断言するのです。結局個人主義という概念はもろくも崩れるのです。
もう少し、自分の器官を見てください。自分の目が自分の目を見るためにありますか。鼻や耳、手も全て何かに役立ちたいと願ってあるのです。これらの器官で五官を総動員することによって、集中させるその力は何かというならば、互いに思いやりの心ということになるのです。互いに思いやるための器官であり、五官が総動員されるということなのです。手塚グループの根幹は、個人主義を排除することになるのです。それゆえ、お互いの思いやりを高めていく道場であると言うのです。