2010年3月3日(本部長通信847)
手塚グループの理念 家族(21)
久しぶりに暖かい朝です。朝日もきれいに輝きました。空手道に邁進することのできる幸せを感じながら、朝からの活動です。家庭の良さを実感するのですが、家族では話が自然に湧き上がります。なんでもない話が、うれしいのです。家庭は良いところです。何故良いのかをちょっと考えると、それは自由に動けるからなのでしょう。
自由に何でもできるところが家庭です。どれほど見た目がみすぼらしい家でも、愛情は溢れているのです。私がどこかの家を訪ねていってもちょっと不自然なのです。それは、愛情の絆が結ばれていないからなのです。絆が四方八方整えられていないので不自然なのです。家族で行く道はある意味で、愛情で繋がれて人格の道なのです。
そこで、最も良いものはというと、一人ひとりが決定していくのです。人は権力をもちたちと願い、知識、名誉、財産を得たいと願うのですが、それよりももっと大切なものは、家族そのものであるといつか気がつくはずなのです。その家族で絶対必要なのは、兄弟間の愛情や、子供が親に対して抱く孝行の心なのです。それでこそ、一生涯関係を結べるもっとも近い立場になるのです。
さらに、私にとっては、無条件につき従ってくれる妻がいるということです。その関係で家庭が幸福と和睦を持って過ごせるのです。それゆえ、絶望ではなく、ある望みとして芽生え得る理想的な環境を慕うことができ、肯定的な姿勢で幸福のための純粋な真実の価値を見出すことができるのです。
しかしながら、今、家庭があらゆる醜態の起源になっているのです。ニュースを見る限り父が母と子供たちを殺してしまったり、家に火をつけて殺害してしまったり、悲しい事件が余りにも氾濫しているのです。それだけではなく、家庭が離婚によって崩壊してしまい子供たちの心はズダズダに切り裂かれてしまっているのです。四組のうち一組は離婚してしまう勢いですから、家庭が聖なる土台として望んでも適わない状況になっているのです。
何故離婚がとんでもない事なのかを考えて見ましょう。愛する人が分かれるということは、この自然に満ちている超人的な力の作用がなくなってしまうということなのです。人は、自分にこの力が入ってくれば入るほど、宇宙的な力を感じるようになるのです。しかし、分かれるとなると、その力が自分から離れるようになるのです。離れた結果をすぐに人間は感じるのです。これが悲しみということなのです。
自分が家庭を持って円満に過ごしてきたはずなのに、不合格品になってしまうのです。人間は、完成を追及します。ところが、離婚は不合格の要素を持ち、さらに、今まで降り注いでいた宇宙の力が追い出されてしまうのです。それが、苦痛の始まりということになるのです。
愛する人を失えば、言葉にできない悲痛さを感じるのです。倒れるしかありません。死ぬしかないのです。ですから、泣くのです。電気を見ても、プラスとマイナスがあって二つのうち一つがなくなれば、残りのものも何の作用もできないのです。人が行く道も同様なのです。それゆえ、極真会館手塚グループの理念はあくまでも家族なのです。