2010年3月2日(本部長通信846)

手塚グループの理念 家族(20)

 雲が空全体を覆い、一面銀世界です。3月に入って雪化粧ということなのでちょっとびっくりしてしまいます。最近教室を指導して感じることは、いつも稽古がしたくて通う道場生は少ないのです。残念ながら、子供たちは、仕方なく習い事なので通うということになってしまうのです。中でも、特に小学生たちは、最初親が願うから通うのであって、本当に空手がしたいかというと動機は薄いのです。
 時間が過ぎていくうちに、仕方なく通ってみると、その味を覚えて、稽古するために通うようになるのです。そのようになるとか返って、両親は驚いてしまうのです。稽古の味を感じ、その刺激的内容を知れば、空手が面白くなるのです。そこまでくるには、時間がかかるということになるのです。結論からすれば、空手道場に通うという最初の動機はしっかりしていると言えないのです。両親にもこのことははっきり理解して欲しいのです。
 ところが、道場で稽古してみると、自分の身体を動かし、思い通りに出来る範囲が広くなるので、その気持ちが広がって稽古を積極的にするようになるのです。はじめは、稽古すること自体好きな人は一人もいません。稽古することによって自分の自由になる範囲が広がってくるので好きになるのです。
 道場に来る子供たちに対して、親は、一生懸命稽古することを望むのです。それは、子供たちにとって簡単な道ではないのです。苦痛の道です。しかし、それは、親たちからすれば、未来のために準備しなさいという予告なのです。子供たちが成長する姿を見て未来に対しての準備状況を確認するのです。
 何故、道場に通わせるかという最終結論は子供たちが幸せにすくすく育って欲しいということなのです。幸せは、努力なくして掴むことが出来ないのです。そして、人格形成を考えずしてはあり得ないのです。子供たちにとって幸福の門が開かれるのは、親との対話で満たされ満足する時なのです。
 もし、稽古をする理由は何かと問うならば、師範は迷わずに男性であったら立派になって家庭を築くための準備をするのであると言うのです。最近の世の中の風潮では、家庭を持つために準備をするということが死語になっているのです。素晴らしい、しっかりとした人格を身につけ、素晴らしい相手を得るためであり、相手と美しく愛し合いながら幸福に生きるとするならば、財産も名誉もついてくるのです。当たり前のことが、当たり前に、主張することが出来ないようになってしまうのです。それでも主張し続けるのが極真空手なのです。