2010年2月28日(本部長通信844)

手塚グループの理念 家族(18)

 消防団の纏の研修と社会を明るくする運動の会合の二つをこなして、今日に望むのです。朝の活動を展開するので、4時半に起床、心を強く持ちながら、進んでいく自分の姿に伊達政宗公を演じるつもりで出発です。
 聖義の誕生日であることで、少し親としても愛情の限界点に到着するような思いなのです。息子に対しても愛情を注ぐことを生きがいにしてきました。押さないときから、今までそして、生涯を通じて、さらには、永遠に愛情を注ごうとする親心です
 息子の誕生日のこのときに、愛情を注いできた過去を思い浮かぶことができ、親子の関係を結ぶことで、無限の力と無限の刺激と何か新しい関係がこれから生まれてくるような気がするのです。確かに息子のために、骨が溶けてしまうような苦労もありましたが、疲れを知らなかったのも事実なのです。この愛情を帳簿に付けておこうともしないのが親心のような気がします。
 それより、仙台市に大津波警報が発令されて、午前中から宮城の消防署の対策司令部に張り付くようになったのです。チリ地震での影響で、昼過ぎにはハワイ諸島で2メートルの津波が観測され、いよいよ、太平洋沿岸を襲うとうことでした。最悪のシナリオを想定しながら、あらゆる対策を指示するのです。大津波の予想が3メートルでした。
 午後の三時ごろには久慈市で1メートル20センチの津波が押し寄せ、仙台港にも1メートルと予断ならぬ状態まで来たのです。緊張の糸はさらに高まり、どのような状況になるのか固唾を呑んで見守るだけでした。夕方八時ごろには、大津波警報が、津波警報に変更され、大きな災害になることが、回避されたことになったのでした。
 その後、九時近くに、息子の誕生日を行って、平穏であることを幸せに思いながら家族でお祝いした次第でした。1960年のようなチリ地震による大津波のような災害にならず、胸を撫で下ろしながら、一日を終えたのでした。