2010年2月25日(本部長通信841)

手塚グループの理念 家族(15)

 どのように道場生を教育しなければならないかということですが、知識や技術教育だけでは良くないと感じています。師範が意識していることは、今まで培った価値基準を推して量れるようになるまで教育し続けなければならないと感じるのです。
 道場でしっかり教育して、それで生活して初めて成立することなのです。その教育とは何でしょうか。私たちの主張する武道教育ということになるのです。道場は教育現場です。技術教育や知識教育だけに留まらず、本質的な人間としての人格を形成する教育なのです。
 何故極真空手を広めようと努力するのでしょうか。師範が「このように道場で稽古してきたのだ」ということを吐露できる対象を持つことなのです。それだから、いつもの稽古があり、審査会があり、合宿があり、大会があるのです。結局師範が経験してきた内容の追体験をしてもらうことになるのです。
 このような段階を経て、成長期間を過ぎていくならば、学ぼうとする以上に師範と近づくのです。研究して知るよりも、もっと身についた智慧になるのです。要するに赤ちゃんが、学んでから食べ物を探し出すことはせず、すぐにさっと何事も理解するのと一緒なのです。
 さらに、免許皆伝ということで、黒帯を授けるのですが、黒帯の内容は、間違いなく師範と共に道を究めた証であり、黒帯だけが最大の資格ではないのです。その道場生の内容がいかに良くても、黒帯が師範と取って変わることは不可能ということになるのです。
 黒帯の持つ最高の意味合いは、師範と共に歩んだという実績であり、そこには、歴史が無ければならないのです。すなわち、過去があり、現在があり、さらに未来があるのです。黒帯を締めるということは、自分自身の中に、黒帯に対する意欲と欲望が無ければならないのです。ここでの欲望というのは、師範という指導者との人格レベルと相対的立場であるということなのです。
 そのように考えると、私たちのもっとも貴い財産は、師範の歩みを相続するということなのです。師範は道場生に全てを相続してあげることが最優先される内容になってくるのです。それゆえ、正しく、極真空手を紹介しなければならないことは当然なのです。道場で学ぶことで間違いなく社会人として恥ずかしくない人間になるということなのです。