2010年2月21日(本部長通信837)

手塚グループの理念 家族(11)

 今日の朝は、晴間から雪が蛍のように飛んでくる眺めです。広島の責任者と千葉へ会議に出発です。冬の名残を楽しむかのように朝日と雪の蛍が実にマッチしています。窓から眺める私は窓の風景に調和し、平衡線をなしているのです。
 最近考えることがあります。年はじめには神社にお参りに行き、正月飾りをどんと祭で神様にお届けして、過ごしてきました。今年も神社の神事を中心に始まりましたが、神様に出会ったかというと、ちょっと出会ったかなという微かな印象です。
 しかし、我が家で生活して、妻となんでもない話をするのですが、心がハッピーなのです。神社と比較してはいけないと思うのですが、どこで神様と出会ったかというと家で神様と出会ったという実感がするのです。そのように妻は私に愛情と心揺さぶる何かで神にあわせてくれるのです。
 よき感性が妻から与えられるのです。家庭において間違いなく刺激を受けて、今日という生活感情を体得することができるのです。何の事の無い会話や生活なのですが、妻からの刺激が発展をもたらしてくれるのです。言い換えれば、会話が、家庭と家庭の外の情報から、さらには、未来の喜びを現在に引き込み、刺激を与えて、推進力を補給させてくれるのです。
 今まで、この歳になるのですが、妻から来る刺激は、「私が生まれたのはあなたのためですから、あなたのために生き、あなたのために共に歩み、あなたと人生を閉じます」という心が伝わってくるのです。
 ところで、社会的風潮として、夫がお金を稼いでくるとき力がでるという妻もおります。妻は夫が稼いでくるお金を見て力を出すし、その妻の姿を見て夫も力をだすというのです。つまり、経済的不安は即、夫婦関係の崩壊に直結するのです。このような関係では、互いに不足な面が現れるようになって、結局は離婚する事態まで起きるようになるのです。
 私は、ある意味でよき妻という宝くじに当たったような気がしてうれしいのです。