2010年2月19日(本部長通信835)

手塚グループの理念 家族(9)

 私たちの人生に、原則的なものがあるのかもしれません。春になれば種を蒔き、夏になれば生い茂り、秋になれば実を結び、冬になればすべて整理して、新しい生命の根源を自分の中に備えなければならないのです。そのようにしてこそ、再び春を迎えるようになるとき、またこれが植えることができる種となるのです。その中での、喜怒哀楽が人生なのでしょう。
 これは何の話かというと、運勢の中に原則的にサークルラインがあるような気がするのです。昇ったり降りたり、回ったりする人生なのだと思うのです。何故、ディズニーランドに人が好まれるかというならば、宮殿のようであり、その中には、やはり昇ったり降りたり、回ったりするからなのでしょう。そして再び元に戻るのです。
 空手の道場も、宮殿のようではないのですが、飛んだり跳ねたり、回ったり、刺激的な動きをするのです。基本の動きから、移動、型、組手とまさに、サークルラインを描くのです。道場で稽古が終わったときには、すがすがしい感動が待ち受けているのです。
ところで、青年の時の私はというならば、国家転覆当たり前の気持ちでした。帝国主義が、どうのこうのと騒いだときでした。すべてのことは自分を中心にしてひっくり返して考える時期でした。強烈な社会に対する反抗を示したものです。ある意味で、自分を理解しないようではと、危険な道への可能性も内包していたのです。この時期は種から育つ時期なのでしょう。
 さらに、この時期は、自分を中心としなければ気に入らないのです。そしていくら微々たるものであっても得意になったものです。すべて自分と関係を結んでいるので、最高の感情が誘発されるのです。そして、飽和状態のようになるのです。停止してしまいます。
 それが、いつの間にか、花を咲かせるような時期になると、恋人が現れ、自己中心の自分の考えが、飽和状態からの新しい変化が生まれるのです。つぼみが、花を咲かせるのです。相手に対する関心が高まり、瞳は好奇心に満ち溢れていくのです。そしていつしか相手とぶつかるようになって、自動的に回転運動のように相手に好まれるような姿勢に変わるのです。
 そして、結婚ということになるのですが、人生の中での結婚はディズニーランドのようなものです。幸福という宮殿を開けて入っていくのです。もちろん、結婚ほど重大事はないのです。その中身はというと、個人でいたときよりも、刺激的です。いろいろと刺激的なのです。愛する二人が、寂しいときには慰めあい、うれしいときには喜び、困難なときには助け合える流れなのです。いろいろなことがあって騒いだり喜んだりするのです。そして、子供が生まれるのです。そのようなサークルラインが人生にはあるのです。ちなみに、私たちの新婚旅行はディズニーランドでした。