2010年2月18日(本部長通信834)

手塚グループの理念 家族(8)

  人間の存在の原因を考えて見ましょう。人間は何で始まって、どんな目的に到達するというのですか。人間という存在目的は何を完成させるために存在しているのでしょうか。すなわち出発が何であり、目的がどこに到着していかなければならないかなのです。
 人間は相対関係にある存在として、男性と女性が共存しているのです。そして、社会という、前後・左右・上下に連結しているのです。そして、人間は幸福を感じながら歩もうとするのです。つまり、喜びを感じなければ何ら意味が無いのです。
 何が幸福の要因として挙げられるのでしょうか。何ゆえに生きているかということになるのです。食べるために生きるという人もいれば、仕事をするためにという人もいれば、何の目的も無く生きている人もいるのです。
 ところで、人間は、胎児のとき、母親から供給される栄養を受けて出生するのです。生まれてきてからも、自然から物質である栄養を供給されて生きるのです。人間だけではなく、動植物も太陽の光を命の要素として吸収するのです。
 私は書斎のある部屋から、木々の葉っぱに雪が薄っすらかぶさりながら、静かに降り積もるのを見ているのです。まるで、景色を白銀の世界に清めてしまう勢いです。空には雲が覆いかぶさり、梅田川の川辺は鴨が散策しているのです。その中でも虫が世の中を見物しようとチョロチョロと出たり入ったり、春を待ちきれないようです。
 そのような環境を部屋から眺めながら、部屋の暖かさで眠り込んでしまいそうでも眠り込まず、気分良く味わうひと時なのです。この自然を眺めながら、自然の遊園地を満喫しているのです。気分がとても良いのです。
 それ以上に、懐かしい人が我が家を昨日から訪ねてきているのです。懐かしいその人に出会って、手をぎゅっと握って握手します。握手するとき、懐かしさが込み上げてきます。とても気分が良いのです。懐かしければ懐かしいほど喜びが大きいのです。
 はっきり物申せば、人は素直でなければならないのです。この世の中で私を愛してくれる人がいるならば、これほどうらやましいことは無いのです。私はいつも妻にぴったりついて暮らしているのです。私の熊の手で、妻の手をぎゅっと握ってしまうのです。気分は良いのです。 
 そのような気分の良さを味わっている師範は、どのような苦難が襲いかかったとしても、どのような悲しみが訪れたとしても、私を占領することなどできないのです。なぜなら、気分の良さを味わった人間は、更なる気分の良さへの虜になり、奴隷になってしまうのです。それが、最大の幸福だということができるのです。