2010年2月13日(本部長通信829)

手塚グループの理念 家族(3)

 いよいよ冬季オリンピックが始まります。心技体を尽くしてナンバーワンアスリートを目指すのです。単に競技ができればいいという事ではないのです。オリンピックの舞台で日本を代表して参加するのです。
スポーツ新聞に目を通すと、日本選手団らしからぬ締りのない服装で歩いていた選手に非難が集中していました。残念なことです。人間の未熟さゆえの行動という事になるし、オリンピックという行事からすれば事件を起こしたという現実です。
どんなスポーツでも、道場での修業もまさに、思春期を迎えるその一時をしっかりと極めて正して歩みなさいという事です。人間が成熟するように思春期時代を大切にしようとするのが私達の指導の意図です。
 そこで、武道教育は、まさに徹底した人格指導という事になります。ある意味で、道場の青少年たちは、指導者に従うような時期があるのです。道場生が成熟するまで徹底的に指導者が怖いと思うぐらい、自分の意思で指導者を越えて行って初めて、資格を得ていくことができるのです。
 指導者を道場生は、モデルとして見ますから、成長し成熟しようと必死に稽古をするのです。道場生が指導者と一致しようとするときに、心と体も一致できて、成熟した人間になるのです。心と体において、心は空手道を中心に磨きをかけ、体は生活を中心にしているのです。この心と体が一つになったという時、その理念が私達の考えている理念なのです。
 このように、肌と肌でつながった指導者と道場生との関係は、深い絆で結ばれるのです。ある意味で、離れればさびしくなり、悲しくなるぐらいの関係ができるとするならば、自分のやっていることを誇る事が出来るのです。
 このような立場は、第一に、極真空手が自分にとってなくてはならない人生の指針になるのです。第二に、極真空手で鍛えて自分の精神を誇るようになるのです。第三に、極真空手を継承した相続者であると自信を持つこともできるのです。 それは、どんな自慢よりも、自分の心の中により以上の誇りとして満ちてくるのです。