2010年2月2日(本部長通信818)

私の人生の判断

 私は今でも、人間として出来た人となるための極真空手を続けていると思うのです。今も苦労すべきであると考えています。人生、どん底を這いずり回るような絶望のるつぼに一度ぐらいはまって見るべきでしょう。絶望の奈落の底で新しいものを探し出せるということです。
 そうすれば、「今の絶望がなければ、このような決意と決心は出来なかったはずだ」と心新たにすることができます。絶望の淵から驚きの声をあげて抜け出してこそ、新しい自分の歴史を創造する人に生まれ変わることができるというのが私の経験です。
 一か所だけ、一方向だけ見ていても大した大事など成せるはずはないのだとおもいます。 上も見て下を見て、人生僅か朝露のごとくでないですか。その中で成功できるか否かは、自分の目で物事を正しく判断できるかどうかでしょう。
 また書きますが、豊富な経験が物を言うはずです。また、厳しい環境にあっては、余裕のある人間味と柔軟な自主性が、必ず必要になるものです。
 人格者は、エレベーター人生になるべきです。大抵の人は、一度上がると、下がるのを恐れて、地位を守ろうとするものです。はっきり淀んだ水になり腐ります。時を待った後にさらに、高い頂に向かっていくことができるのだと思います。自分の人生を百科事典にできれば、つまり、世の中のこと直接、間接経験して初めて、拠って立つ価値観が定まるものです。「価値観は明確な主体性です。」
 私の場合、全国を回り、私の得意な分野、私が経験したもので、私にかなう者はないと最も自信を持ったものを一つ選択して、一気に勝負をつけたのです。それが「極真会館師範」。そうやって人生をいきれば必ず成功するし、成功せざるを得ないという確信です。結構選択は悩みました。当時大学院を二つ収めれば税理士です。極真空手との両天秤でしたが、高橋指導教官、同僚すべての反対を受けたので、これは、みんなの目が正しいという判断で、その道への選択は悩まず捨て去りました。選択の判断は結構友達の感性を信じるものです。